【感想①】嫌われた監督
まず、私の落合博満に対する考え方について簡単に。
私がちょうど野球を見始めた頃に中日の監督であり、黄金期であったということもあり、監督としては最高の人物だと思っている。
中日の監督が落合でなかったら、私はここまでファンになっていなかっただろう。落合なくして、今の中日ファンとしての私はない。
落合は私の中日ファンとしての原点だ。
ただ、育成には失敗したという事実は認めざるをえないと考えていた。何しろ、野手については世代交代が全くできなかった。
そして、退任数年後にGMに就任したあたりからは、「うーん...」と首を捻ることも多くなった。
言うまでもないかもしれないが、GMとしての落合は最悪であった。
と、まあそんな感じ。
監督としての力量は一番であると考えている。
結局声は掛からなかったが、他球団でも落合野球が見れるのであれば、何試合かは足を運びたい。
まとめると、以前は「落合は神」と考えていたが、GMになったあたりから少し考えが変わった、そんな感じだ。
ただ、落合が監督を退任してから10年、GMを退任してからもそこそこの期間が経過しているので、今の中日の低迷はもう落合は関係ないと考えている。
そして今回、鈴木忠平著「嫌われた監督ー落合博満は中日をどう変えたのか」を読了したので、感想を述べていきたい。
今回は全体の統括とし、次の機会で詳しく感想を書いていきたい。
一通り読んでみて、やはり、落合は我が道を行くタイプなのだなと改めて思った。
私は現役時代は知らないが、常にそういう人物だったと聞く。
そして、決して群れないが、その我が道で結果を残すタイプなのだと思った。
ただ、群れなくても最終的には周囲を味方につけた。その「我が道」が理解を得られた。
実社会において、なかなかこういう人はいないだろうと思う。
社会でも群れることなく我が道を行くような人はいるが、その人たちが結果を残しているかというと、正直必ずしもそうとは言えない。
やはり、周囲との人間関係をうまくやっている人が結果を残している。
我が道を行くと言われる人は、実は我が道などなく、単に周囲と距離を置きたいだけの場合が多い。
例えば、学校や職場で人間関係を作らない、作れない人は、群れずに我が道を行く人と思われがちだが、ではその人に我が道という道があるのかというのは別の話だ。
その人に、何か別の場所で人間関係があるのだろうか。何か結果を残す手段があるのだろうか。
もちろん、あるなら良いと思う。ただ、現実としてどうだろうか。
身近なコミュニティで人間関係を作れない人は、恐らくどこに行っても作れない。
人との繋がりの中で生きている中で、その繋がりを放棄している人は、やはり結果は残せない。
ただ、落合は違う。
その我が道で、誰も文句を言えない結果を残す。
在任8年間でリーグ優勝4回、日本一1回、Bクラス0回という結果を残した。
その結果として、賛否両論あるが、多くの味方をつけた。
それであれば、我が道を行って良い。
そういう人は一番カッコいい。周囲に合わせずに自分のやり方を貫き通し、結果を残す。そして支持を集める。
ただ、これは一般人がマネして良いとは言えない。
一般人が群れないという選択肢を取って、成功できるのかということだ。
繰り返しになるが、私の経験上、群れない人は、結果を残せない人の方が圧倒的に多い。
単に人付き合いが苦手なだけで、そもそも我が道などない。
落合は、マネしていい人物とは言えない。
我が道を行くのはリスクが大きすぎる。
もちろん、その道について自信があるのなら行っても良い。
そして、その道で成功を収めれば、一般人よりも大きな支持を得られる。
私にとってはいつまでも憧れの存在ではあるが、社会人も5年目を迎えた今、真似できるほどの度胸はないなと思う。
学生時代はあまり群れることなく我が道を行っていたのだが、ぶっちゃけ残ったものは何もないのだから笑