向いてなかったTwitterーやめることを決意
2021年8月。Twitterを完全にやめた。もうアカウントまで削除した。
大学1年生からやっていたので、もう実に8年以上はやっていた計算になる。色々とアカウントは変えたし、色々と試行錯誤はした。
だが、結論は「向いてなかった」。
やめた途端、気持ちが楽になった。もちろん気のせいかもしれないが。
私のTwitterライフを簡単に紹介したい。
正直8年にも及ぶので、この一つの投稿で網羅することはできないが。
持っていたのは、趣味のアカウント2つ。アニメ関係と野球関係。そして、リア垢。
まず趣味関係のアカウント。
一時期は活発だった。フォロワーが多いわけではないが、多くの人と繋がり、意見を共有し、またイベントなどで出会った人たちと積極的に相互フォローした。
恐らく楽しかったのだろう。常時タイムラインを眺めていたし、フォローしてる人のツイートを楽しみにしていた。
ただ、これには限界があった。
大学生時代は、高校生・大学生・社会人と色々な人と交流をしていたが、ネット上の繋がりというのは、実はそう長くは続かない。私の経験上、2年続けば長い方だと思う。いくら私にはネット上の世界がある!と言っても、我々が大半を過ごすのは学校や職場などの現実世界だ。この現実を無視することはできない。
受験や就活でTwitterから一時離れる人は多い。終わって復帰する人もいるが、復帰しない人も多い。また、復帰しても、大学生活や社会人生活が楽しくなったり忙しくなったりで、ネットの世界から離脱する人が多かった。
やはり、リアルには勝てないのがネットの実状なのだ。
また、リア垢を作り、そちらの方が楽しくなって趣味垢は放置という人も多くいた。
そうでなくても、多くの人は数年でツイート数が減り、新規のツイートは無くなっていく。
みな、現実の世界が忙しく、楽しくなる。
それはそうだ。現実での繋がりの方が強いし、刺激もあって楽しい。現実が楽しくないからネットの繋がりを求めているのだから、現実が楽しくなればネットの繋がりはいらない。
結局、私は知らないうちに一人になっていた。あまり次から次へと関係を作るのは好きではないのだろう。特定の人と、一度知り合った人と長く付き合っていきたい、私はそういうタイプの、典型的内向型人間だ。
そうすると、やはり入れ替わりの激しいネットの世界での繋がりは性に合わないのだった。
それでも情報収集のために続けてはいたが、もう引退を決めた。楽しい時間もあったが、もはや私の住む世界ではなくなっていたのだ。
そして、いわゆるリア垢。
こちらは3度ほど作ったが、いずれも一年保たなかった。
うまく使えば、私みたいにその場限りの人間関係しか作れない人でも、ずっと繋がることができ、人に囲まれて生活ができる。交友関係を留めておくことができる。私の理想としている世界がそこにはあるのだろう。
ただ、私には向いていなかった。
まず、人と比べてしまう私の性格には合わない。
知り合いのツイートを見て、羨ましくなり、それに比べて自分は...と凹む。私は日常的なツイートはほぼない、というのも、そもそも私には予定がないのだ。
また、フォロワー数やいいね数が厄介なものだった。
当然、友達が多い人気者はフォロワーが多い。私はフォロワーは多くて2桁だ。3桁の人を見ると心の底から凹む。現実の繋がりだけで3桁って何やねん!って感じだ。
また、いいね数も、結局のところ自身の価値のようなものになってしまう。
人気者の投稿は多くのいいねが付く。また、多くの反応がある。対して私はどうか。いいねは付かない。FF外の変なアカウントからたまに検索で引っかかって付くくらいだ。
ネット上のみの繋がりであれば、その数を広げようと思えばできるのかもしれない。ただ、いくらネット上での繋がりが強くても、前述のとおり人生の大半は学校や職場で過ごす。現実から離れて生活することはできない。
ある意味で、Twitterでは、現実の自分の存在価値が数値という客観的な指標で現れてくる。もう、どうしようもなくなる。いいね数、私はゼロ、あの人は20。みたいな感じだ。これは人間の価値が数値という客観的な指標を持っている。もう、どうしようもできなくなる。
また、LINEであれば見えないユーザー間での会話も、Twitterでは見える。あの子はいつも異性と会話してるなあ、なんて思い始めたら自分の不甲斐なさにイライラしてくる。
この、これまでは何となくあったスクールカーストのようなものが、客観的な数値となって現れてくるものに、私は耐えられなかった。
また、私にとどめを刺したは、職場の後輩の実名でのアカウントだった。
その後輩は、本名でアカウント登録をしていた。
過去のツイートを見てみた。どうやら、大学時代に、全国の大学生がエントリーできる、かなり大きなミスコンに出たらしい。幾度の審査を乗り越え、その結果、エントリーナンバーと本名でのアカウントを作ることとなったようだ。そして、最終的には賞も受賞したようで(何千人とエントリーしているなかで、片手で数えられる順位ということになる)、そこで自信がついたのか、実名アカウントを継続していた。その子は、Twitterで自分の写真を沢山投稿していた。動画配信の告知、自分を売り出す投稿の数々...リアルだけの繋がりではなく、その他にも多くのファンを得ていた。もう、アイドルだ。自分の存在価値で、数値を勝ち取っていた。もう、同じ職場で同じ仕事をしている人間とは思えなかった(ましてや後輩である)。
私は匿名で細々とやっているだけ。自分の写真なんて投稿できるわけない。冷めた目で見られるだけだ。また、繰り返しになるが、いいねなんてまず付かない。私のツイートは本当にフォロワーの何人が見てくれてるのかすら分からないレベルだ(アクティビティは怖くて見れなかった)。もう、天と地の違いである。
さすがに私は耐えられなくなった。劣等感の塊になってしまった。もう、本気で消えたくなった。
その時、私はアカウントは消さざるを得なかった。Twitterから完全引退するほかなかった。無理だ。こんな土俵に、私は立っていたくない。これ以上自分を苦しめる必要はない。もっと自分を愛そう。
人と比べるな、あなたはあなただ。とよくネットには書いてある。でも、こんな環境に置かれたらそんなこと誰が言えるのだと。私は人と比較して凹むのはいつものことだが、そうでなくても、これは厳しいのではないか。
私はプライドだけは高いので、負けたくはない。だから、Twitterの世界ではそもそも私は戦えないのであれば、もう逃げるしかなかった。
知らない方が幸せ、そういったことは多い。
知らない方がよかった。何でTwitterなんかやってたんだ...。そう思ってやまなかった。
ただ、一応8年間は続けた。これは評価できると思う。なかなか8年間続けることは難しいと思う。
それだけ、その期間は楽しい時間もあったということだ。
ただ、結論は、この世界は向いてなかった。趣味とリアルのアカウント、どっちの世界に入っても四方八方塞がっていた。8年かけて、やっと分かった。もちろんこれが無駄だったとは思わない。経験しないと分からないのだから。
以降私は、この経験を生かし、もうSNSはやっていない人間として、そういうステータスとして、生きていこうと思う。
人間関係は苦手、友達は少ない、コミュニケーション能力は低い、仕事はできない...こんな人間はネットで関係作ればいいじゃんとなるかもしれない。
でも、私はどうやら、そんな状況であっても現実の世界の方が、実は生きやすいのだった。
皮肉なものだ。現実はクソだ、理不尽なことばかり、何で私はやることやること全てできないんだ...そう思っていた学生時代。でも、気づいていなかったのだ。実は、そんな現実世界が、内向型の私にとって一番向いてる世界だったのだ。
まだTwitterを引退してから1か月も経っていないが、気持ちは落ち着いてきた。この投稿をするくらいの余裕はある。
今後、私はどうなるのかは追って投稿していこうと思う。ちなみにだが、私はFacebookとInstagramはやっていない。こちらは何故か最初から向いてないと思っていたのだ笑