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清澄白河カフェのキッチンから見る風景 : 80sいろいろ…9月に思うことは

もう少しで10年となる店舗の設備はヤレヤレです。しょっちゅう工具を持って何かしらの作業をやっています。建物が古いので電気系統は特にいけません。過電流が原因と思われること数多、電球や蛍光灯はしょっちゅう取り替えています。LED電球ってこんなに寿命が短いものでしたっけね…?

オープン当初は理由もわからずカネをつかってしまったようなところもありますが、ある程度自分のテイストを前面に出すようにしてからは、思い切りケチケチでやっています。自己満足的な拘りにカネかけた分をお料理のお代に上乗せしているような商売が嫌なんです。「そんなこと言ってもレコードがいっぱいあるじゃないか」と言われそうですが、あれはオーナー個人の持ち物なので、店舗経営には関係ないものなんです。売れた場合に都度法人が個人から仕入れたことにして月末に一本で仕分けするんです。税法上も認められている手法です。12インチが一枚100円、7インチが一枚50円で仕入れております。その差分が店の利益です。

こういった部分は、税理士さんと社労士さんと一緒に突き詰めて今のスタイルに落ち着いているんです。如何せん前職が公務員なので、違法行為は絶対にやりません。脱税だって絶対やりません。…節税はやります。無駄な税金を払う余裕はありません。あらためて思うに、税金が高いなあと言う部分はしょうがないにしても、税金を無駄遣いされたり、わけのわからない公共事業は腹が立ちますね。

以前は観光関連の部署の人間から、この事業を手伝えだの、あれこれ言われたりしたのですが、若い担当者が相談にくるたび𠮟り飛ばすことになるので、さすがに来なくなりましたね。現場を見ていない予算消化的な事業に対しては厳しくならざるを得ません。

例えば、観光客も一定数くるような商店街支援であれば、行政が支援してマップを作るなどということは有益です。一方で地元の住民の生活を支えている商店街のマップを作っても意味がないんです。道しるべ的な案内表示も要らないんですよ。ばら撒き行政の弊害、やることが一律過ぎるんです。それが公平なカネ(税金)の使い方だと主張するわけですけどね。

観光客が来ないような商店街が必要とするのは、駐輪場整備や荷捌きスペースの整備、歩きやすい歩道の整備などといった部分ですかね。「新たな人の流れを作り出す」とか余計なことをするなという気がします。…現場の声をちゃんと聞いたんですかね?…若い役所の担当者には、そんなことを言われても…というはなしでしょうか。徹底的に厳しいことばかり言うカフェめし屋のオヤジ、いやですねぇ。

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さて令和の米騒動も一段落したか、スーパーに新米の袋が積み上がっております。しかし半年前の倍近いお値段になっておりまして、フツーに買う気がしません。生産者が儲かるならいいのですが、これって何か違う気がするんですけど、大丈夫ですかねぇ、日本の農政は。まあ最悪手に入らないという状況ではなくなりましたが、当然ながら仕入れ価格が上昇しているわけで、利益率は下がりますよね。…まったくもって腹立たしい。

最近はそれに加えて、サニーレタスやミニトマトなどの野菜も惨憺たる状況です。台風10号のせいなのでしょうか。以前の半分程度の大きさのものを倍ほどのお値段で買うことになります。結果的に4倍近い値段になっているようです。まずいですよね、この状況。ただでさえ食料自給率が低い国なのに、流通も不安定なんですからね。…東京はまだましとか言われるんですかね?

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もう9月なんですね。さすがに朝晩涼しくなってきましたが、日中はまだ暑い日が続くのでしょうか。この季節は子どもの自殺数が跳ね上がると言われますから、一応注意して眺めております。自分自身もいろいろ考える季節ですからね。Facebookの思い出機能で過去の同日付の投稿が表示されるもので、ここ数年、9月1日に同じ文面を掲載しております。我が身を引き締める思いもありますので、ここにも引用しておきますかね。

さて、9月1日。世の中的には防災の日。1923年の関東大震災を受けて、災害に対する心構えを確認する日。震災発生8日前に加藤友三郎総理が急死しており、バタバタの中で起きた大震災。2011年3月11日の東日本大震災も、個人的には年度末のバタバタの中、本当にどうしようもないタイミングで起きた記憶がある。まさに災害は忘れた頃にやってくる。避難者の受入れなどもあってぶっ通しで働いて3カ月後、2011年6月に狭心症で倒れた。全てが終わったように思えた。それまで、ほとんど休んだことがなかった人間が、休まざるを得ない日々。退職願を出したが受理されず、体調不良と闘いながら、さらに2年働くことになった。
2013年9月1日、区役所勤務最後の職場となった図書館の引っ越し当日、朝から脚がつりまくり、午後には目が見えなくなって夕方頃動けなくなり、カミサンに迎えに来てもらった後、救急搬送された日。もう退職願が受理されなくても関係ないと、退職を決めた日。
そして7日後に父親が他界した。忘れていたわけではないが、最後の頃はまったく面会に行けなかった。一生懸命仕事をすることが悪いことではないはずだが、猛烈に後悔した日々。
あれから3年、年度末で退職し、4カ月後に会社を設立し、さらに半年後にはカフェを始め、現在に至る。これが本当にやりたかったことか、自問する日々ではあるが、あのままズルズルと組織にしがみついて迷惑者でいる気はなかった。とにかく自分の居場所をつくりたかった。それだけ。
あの日からの日々を振り返り、現在の立ち位置を確認し、これからどうするかを考えるべき日。それが自分にとっての9月1日。

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さあ、今日はトークイベント開催日、有り難いことに満席となりました。いろいろ思うところはありますが、自分の過去も見つめ直し、今後の時間の使い方を考えるいい機会ではあります。日本がまだ元気で、何をしていても楽しかった80年代、誰もが笑顔でいられた時代、懐かしむだけではもったいないですからね。今後に生かせるようにしたいものです。


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