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7インチ盤専門店雑記710「北国行きで」

朱里エイコさん、憶えていらっしゃいますかねぇ。歌の上手い人でした。1946年3月生まれ、2004年7月に虚血性心不全で亡くなられています。享年58歳、ちょっと早いですね。

18歳で単身渡米とか、ラスベガスのホテルなどで活動したりして、米国ではそこそこに評価されていたのに、帰国してリサイタルを開催しても、特別な人気を得ることはなかったということで、時代が彼女に追いついていなかったと言われておりますね。まあ、まだ昭和歌謡と演歌の世界でようやくグループサウンズなどが出てきた頃の話でしょうから、無理と言えば無理でしょうか。でも1972年1月リリースの「北国行きで」は大ヒットしました。その年の紅白にも出場しております。

この曲、朱里エイコ名義での10枚目のシングルでして、田辺エイ子名義やらを含めると30曲ほどシングル・リリースした中の最大ヒットです。他はほとんど売れてないと言っていいと思いますから、一発屋と評されても仕方がないですね。でも実体はそうでもなかったというわけなんですね。日米の音楽業界の売り方の違いやら諸々で苦悩の時代を過ごしたようで、若干精神的に不安定な時期もあったようです。せっかくヒットが出ても音楽活動は順調ではなかったようで、ちょいと残念ですね。

さて、その唯一の大ヒット曲「北国行きで」ですが、今聴くとフツーの昭和歌謡にも聴こえます。当時自分の耳には随分新しくも感じましたし、歌が上手い人だなぁという印象ばかりが強く残っておりました。その後のことなど全く知らずに気がついたらもう亡くなっていたというような状況ですから、まあ忘れていたに近いものですが、7インチ盤専門店を始めて、日本人のシングルも少しは置いてとなったときに、昭和歌謡の有名どころは一応揃えておこうかなと思い、お安く仕入れておいたものでした。

まあ昭和歌謡と言われるものをしっかり聴いてきた人間ではありませんから、詳しいわけではありません。でも自分の好みから少しはみ出した部分もないと、お客様が増えないと申しましょうか、品揃えも広がりがないことになります。特定のジャンルだけに特化した品揃えにするのも面白いですが、リピーターは得られないということを覚悟しないといけません。まあ今でもリピーターは極一部の方だけですけどね。「またきます」と大喜びして帰られた方でも、またくる人は少ないですね。

ですから、あまり手を広げることはせず、ある程度の枚数、有名曲中心に置いてあるといった程度です。少しでも好きだった曲は結構積極的に仕入れたりもしました。青い三角定規、チェリッシュ、麻丘めぐみさんなんてのも実はちゃんとあるんです。ピンキーとキラーズは先般誰かさんがゴソっと持って行かれましたがまだまだあります。フィンガー5もあります。…ザ・ピーナッツが意外なほど手に入らないんですよ。一部の曲は人気がありますからねぇ。…少しだけならあるんですけど、有名曲かどうかもよく分かっておりません。「予想外にある」とは言われますけどね。

「北国行きで」の歌詞を字義通りに受け取っても現代人には響かないでしょう。現代人にとって、別れの場面で距離を置くことの意味がどれ程残っているのか…。スマホ等でつながっていたら寂寥感もへったくれもありませんかね。むしろLINEアカウントとSNSアカウント全削除の方が、よほど実効性があるでしょう。居ながらにして孤独感を堪能できますぜ。まあ、それでは歌にならないというか、風情がありませんよね…。そんなことないのかな…。

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