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7インチ盤専門店雑記393「レニングラード」

80年代のビリー・ジョエルは随分聴き込んでいたつもりですが、意外に記憶が曖昧でビックリしました。特大ヒットだったアルバム「イノセント・マン」のリリースが1983年8月8日でして、コレがロングラン・ヒットだったことも影響しているのでしょうか。先行シングル「あの娘にアタック Tell Her About It」は前月リリースでしたが、これがもの凄く暑い時季に発売されたのはよく憶えているんです。でもこのアルバムは(おそらく翌年の)冬から春にかけてのイメージだったりします。

85年は2枚組のベスト盤が出て、これは重宝しました。いまだに店でもよくかけております。…私がではなくて、スタッフM君がお気に入りなんですけどね。翌86年7月に大好きなアルバム「ザ・ブリッジ」が出て、まずCDを買って、後にLPも買って、これも本当によく聴きました。このアルバムは夏のイメージなんですよね。

2年半ほど前、まだ下町音楽夜話を書いていた頃に入手した輸入盤7インチが嬉しくて、ビリー・ジョエルにも触れているのですが、この文章を書いた時、やはり記憶が曖昧でかなり工夫して書いたことはよく憶えています。

問題が次のアルバム「ストーム・フロント」で、1989年10月17日リリース、ここまでの間がいけません。1987年に「From Leningrad U.S.S.R.」という映像作品がリリースされ、これが大好きだったんです。実は自分が観たのは「A Matter of Trust」というレーザーディスクなんですけどね。ロードムービー的な印象もあって、レアなソヴィエト連邦の風景が観れましたからねぇ。

音源は、ライヴ・アルバムとして1987年10月に「コンツェルト」としてリリースされましたが、あれは映像で観るべきものです。

真っ赤なジャケのタイトルはエンボス加工で、写真では分かりませんね

赤くしとけばいい程度のデザインが気に入りませんが、ヘッダー写真の方は「レニングラード」の12inch盤45回転のマキシ・シングルでして、この曲は「ストーム・フロント」収録です。ここらが混乱の原因なのでしょうか。「レニングラード」以外は「コンツェルト」収録の音源ですから。

「ストーム・フロント」からはまず「ハートにファイア」がリリースされ大ヒットしました。セカンド・シングルが「レニングラード」だったのですが、日本ではリリースされませんでした。「ストーム・フロント」はベルリンの壁崩壊のタイミングでしたが、何か配慮とか必要でしたかね。「ソ連はまだまだ…」と思っておりましたが、ソ連も1991年12月25日に崩壊しましたね。

ビリーさん、ロシアのウクライナ軍事侵攻に心を痛めているだろうなとは思いますが、斯様に世界は広し。ロシア人にも心を痛めている人がいるでしょう。ロシアだけを悪者にしているようなニュースが、信用していいものかあやしくていけません。戦争は愚かしい行為です。

さすがに私ですら、戦地に行きたくないロシアの若者を思うと心が痛みます。

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