見出し画像

7インチ盤専門店雑記470「ヴァンデンバーグ」

1984年6月、大学4年生ながらもう24歳でしたから就職する気もロクになく、公務員試験くらいは受けるか程度の気持ちで過ごしていた時期、さほど期待もせずに行ったヴァンデンバーグの来日公演は、忘れられないものになりました。いやはや、エイドリアン・ヴァンデンバーグの上手いこと…、他のメンバーも下手ではないのですが、ひとりもの凄いレベルの演奏を聴かせておりました。ドラマーも上手いなとは思いましたが、やや個性に欠け、ソロも華がないというか、頑張ってねという印象でした。ヴォーカルも下手ではないんだけど、特別なものは感じなったんです。ホント、ギターだけが別次元でしたね…。

アルバムは1枚目も2枚目も結構気に入っておりましたが、3枚目はもう全然そそられませんでした。あのライヴを観ておりましたから、3枚目が出るとは思っていませんでした。レコードで聴く限りは、ヴォーカルもかなりいいなとは思っていたものです。曲も悪くなかったですよ。「フライデー・ナイト」「バーニング・ハート」そして大好きな「ウェイティング・フォー・ザ・ナイト」、あのイントロのギターは凄かったですねぇ。…ライヴでは省いてましたけどね。

そして次にヴァンデンバーグという名前を目にするのはホワイトスネイクの1987年のアレですね…。オランダのローカル・バンドだと思っていたので、ビックリしました。そして、「やっぱり」でした。エイドリアン・ヴァンデンバーグだけがやたらと目立っていましたからねぇ…。

そもそも、もうあまりメタル系は聴かなくなっていたんです。もう少しポップな連中がヒット・チャートを賑わせておりましたから、同じロックでもそちらに移行しておりました。つまり、イングヴェイ・マルムスティーンとかマイケル・シェンカーは後から遡って少し聴いた程度、デフ・レパードやボン・ジョヴィあたりはよく聴いておりました。もっと言えば、中心的なのはヒューイ・ルイスやブライアン・アダムスといったロックの語法に則ったポップな音楽でした。ハードな音で売れていたものにはZZ Topとかもありましたっけ。さらに言えば、日本国内でも魅力的な音楽が噴出してきており、サザンオールスターズは聴き続けておりましたし、爆風スランプなんかも下手なハードロックよりハードで楽しいライヴでしたから…ねぇ。

まあそれでも、ジーノとかスコーピオンズとかのヒット曲は聴いておりましたね。凄く好きでした。クワイエット・ライオットとかも。スレイドのカヴァーが楽しかったクワイエット・ライオットは、スレイドが「マイ・オー・マイ」や「ラン・ランナウェイ」をヒットさせた勢いに乗って出てきたようなイメージでした。武道館が揺れているような勢いのあるライヴ、行きましたねぇ。凄かったです。

こう考えると、時代の音でもあったように思います。ピコピコ電子音もいっぱい鳴っていましたし、マイケル・ジャクソンやマドンナもいましたから、R&Bっぽいリズムも多く聴かれるようになりましたけど、チャートの主流はまだロックだったように思います。如何せん、好景気に沸いていた日本はアゲアゲでしたからね。ボン・ジョヴィのノリのよさなんて、まさに時代の音だったように思います。今振り返ると結構シャリシャリした音ばかりで、いつ頃の音源か即座に判るのも面白いです。

…ま、自分の場合、シティポップなんぞ全然聴いていなかったもので。山下達郎とかって今ではビッグネームなんでしょうけど、あの頃、池袋あたりのレコ屋で掘り掘りしていたらよく見かけた、ただのオタクというイメージしかないんですよね。…失礼な物言いで申し訳ありませんが、でもそう思っている人間は、少なからずいるハズなんですけどねぇ。みんな並んで掘ってたんですから…。

ロバート・パーマーやパワー・ステーションなんかもかなりハードな音を出していましたし、ヴァン・ヘイレンも売れていましたよね。そもそもマイケル・ジャクソンの「ビート・イット」のギターをスティーヴ・ルカサーとエディ・ヴァン・ヘイレンが弾いているあたりからして、時代の空気感そのものが、かなりハードロッキンなものだったように思うわけです。マイケルもプロデューサーのクインシー・ジョーンズも、その辺がよく分かっていたのかもしれませんね…。

嗚呼、80年代。サブカル80sのイベントは3月23日開催予定ですが、まだ正式にウェブで告知はしていないものの、前回ご参加の皆さんを含め既に結構な数のお申込みをいただいており、さらにお問合せやら「席は増やせないか」という恐ろしい打診もいただいておりまして、満席必至の状況です。…お席は増やせますけどねぇ、…いくつ??…コロナ前、酸欠になりそうなほど盛況だったイベントとかありましたけどねぇ…、アレも80sでしたねぇ…。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?