7インチ盤専門店雑記448「洋楽@日本in1979」
自分は50年以上にわたり、アメリカやイギリスあたりの洋楽ばかり聴いているわけですが、だからと言って本場に行って聴いてみたいという感覚はあまり持ち合わせていませんでした。特に自分の人格が形成される最終段階とも言える十代の終わり頃、横浜横須賀あたりで遊んでいたことも多く、住民に迷惑ばかりかけ、喧嘩ばかりしている米兵に呆れていたこともあって、ヴェトナム戦争終結後しばらくはアメリカはむしろ嫌いでしたから。映画でも病んだアメリカばかり見せつけられましたからね…。
その当時、つまり1978年から79年頃、75年4月のサイゴン陥落から76年のアメリカ建国200年祭を経てポジティヴな時期だったとは思います。それでもジャパン・アズ・ナンバーワンにオーバーテイクされてデトロイトに影を落とし始めてはいました。イギリスは1960年代から70年代にかけて「イギリス病」と言われ、長期の不況に喘いでいました。アメリカとイギリスでは感覚的な隔たりが大きい時期です。すなわち音楽評論は英米どちらも偏りが酷い時期です。音楽産業が巨大化し、ロックもカントリーもミリオンセラーが続出した時代、不況に喘いでいた英国から始まったパンク・ムーヴメントが必然的と思える状況もあったわけで、極東の島国から客観視できたのは貴重な経験だったのかもしれません。
アメリカ人にはYMOやウルトラヴォックス!の面白さは分かり難かったでしょうしね。特に西新宿7丁目界隈で最先端の情報を掬いあげていた好き者たちは、世界中でも稀な、そして貴重な経験をしたと思います。グレアム・パーカーやイアン・デューリーなども新しくはありましたが、スージー&ザ・バンシーズのボーダーレス感は、1978年の「香港庭園」でデビューしてきた時、既に頂点を極めておりました。目茶苦茶聴きまくりました。
ファースト・アルバム「The Scream」の英国盤には「香港庭園」やセカンド・シングル「The Staircase」が収録されてなかったのですが、日本盤には入っているらしいから待てといった情報は西新宿7丁目で得られたものでした。ラジオや雑誌とともに、レコード屋も重要な情報源だった時代なんです。
ついでに言うと、「香港庭園」の7インチ・シングルはタッチの差で売り切れ、「The Staircase」は手に入れたのですが、このシングルのB面がT.Rexのカヴァー「20th Century Boy」だったのです。このテイクは21世紀になってリリースされたリマスタリングCDのボーナス・トラックにも収録されてない超絶レア・トラックでして、さすがにこの盤は自宅保管になっております。 …今となっては、フツーにYouTubeで聴けますけどね。
それからリーナ・ラヴィッチ、Stiff Recordsだから買ってみたとも言いますが、1979年のアルバム「Stateless」収録の「ラッキー・ナンバー」も凄く新しく感じましたねぇ。あそこまで新しさを感じさせる人がアメリカ人だということに驚きました。…まあパンク/ニューウェーブのムーヴメントの中で出てきたものは、今聴くと稚拙で笑ってしまう楽曲もありますけどね…。この人、今でも結構高く評価されていて驚きます。…自分もレコードを買っておいて、酷い言い草ですね。
思うにアメリカとイギリスで経済状況が大きく違っている時期のカルチャー/サブカルを語る時、どういった視座を持つかで言うことが随分変わると思います。英米の音楽を語るにしても、客観視できるのは、日本をはじめとした海外からの視座が必要でしょう。巨大産業化していくアメリカの音楽業界にいたら、パンク/ニューウェーブを評するときにアンチのバイアスがかかってしまいがちなのは最もわかり易い事例ではないでしょうか。結局1983年84年になって、遡ってザ・ポリスの音楽がどうのと語っていたのは、なかなかに滑稽でした。さらには、その傍からカウパンクみたいなパンキッシュなカントリーが出てきたときは、チョット笑えましたねぇ。
次回のイベントでは70年代のサブカル近現代史的側面を語るわけですが、少しでも当時の空気感を伝えられたらと思い、レコード・ラックを漁っているわけです。ここでご紹介した盤などを片手に、「こればかりは当時の西新宿7丁目や御茶ノ水のユニオンあたりに居たような人間でないと伝わらないかも…」などと思いつつ、半分タイム・スリップしたつもりで自分自身が楽しんでいたりもします。
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