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発酵ジンジャーエールの歴史

発酵ジンジャーエールは、英語ではジンジャービア(Ginger Beer)と呼ばれています。現在のそれと違い、昔はアルコールの入ったお酒でした。

起源
1700年代半ば、産業革命の足音が聞こえ始めた、イギリスのヨークシャーで生まれた飲み物と言われています。厳密に誰が、いつ、この飲み物を発明したのかは明らかになっていません。
ジンジャービアの主原料となる、ショウガとサトウキビは、インドなどでの香辛料貿易を通じてもたらされました。当時は帆船に乗って何ヶ月もかけてインドまで航海し、香辛料を買い付けていたそうですが、その後これらを種や苗ごと西インド諸島(カリブ海)に持ち込み、大規模に栽培することで安価で安定的に供給することに成功し、この飲み物が生まれるきっかけになりました。

イギリスの帆船(1800年代後半)-Thomas Goldsworth Dutton

ジンジャービアは生姜の豊かでスパイシーな香りと砂糖の甘味、発酵によるアルコールを愉しめる、庶民の嗜好品の一つだったに違いありません。
当時どのくらいのアルコール度数のものが主流だったのかは知られていませんが、醸造所によっては10%以上のものも製造していたようで、現在のビールやスパークリングワインと同様の感覚で飲まれていたと思われます。
因みに、原料の栽培元の西インド諸島でも盛んに飲まれていたようで、ジャマイカがジンジャービア製造でよく知られているのも、ほど近いアメリカで人気だったのも、この歴史に起因しています。
当時のレシピを調べましたが、水、生姜、砂糖にクリームタータ(酒石酸、pHを下げて雑菌繁殖を防ぐために添加したと思われる)と酵母、メーカーごとにアレンジのスパイス(ジュニパーベリーなど)を加えて、発酵させ造っていたようです。弊社、しょうがのむしの発酵ジンジャーエール(ノンアルコール)も基本的には同じで非常に伝統的な製法を採用していますが、クリームタータは添加物となるため入れず、代わりに広島の低農薬レモンや埼玉の無農薬カボスなどの柑橘類や、発酵によって生じる乳酸を使用しています。

ノンアルコール化
1800年代半ばまでは、上記の通りアルコール飲料として供されていたジンジャービアが、どうして現在のノンアルコール飲料となってしまったのか?それは1855 年にイギリスで可決された物品税法に端を欲します。この法律によってアルコール度数が 2% を超える飲料には輸出時に関税が課されることになり、時期を同じくしてアメリカでは11の州が禁酒法を施行していたため、ジンジャービアメーカーは売上維持のためにも低アルコール、またはノンアルコールの商品を製造・販売を始めました。

1800年代後半(推定)ジンジャービアの陶製ボトルと、ノンアルコールを謳う広告看板

余談ですが、イギリスでは1830年代に禁酒を促す政党が発足、大躍進し上記の法律の制定に繋がったそうですが、彼らは酒の代わりに紅茶とお菓子を勧めることで禁酒を促す手法を用いました。これによって富裕層だけでなく労働者にも急速に紅茶を飲む文化が広まり、イギリスは紅茶の国になりました。
さて、ここから1900年代半ばまで、断続的に禁酒運動や禁酒法が繰り返されていくのですが…禁止されればされるほど、人は酒を飲みたくなるもの(笑)

割り材(ミキサー)としても大人気
お酒を飲みたいのに買うことができなくなった人々は、仕方がないので自宅で密造を始めます。しかし密造酒というものは、素人が、自宅で、限られた知識と入手可能な素材(ジャガイモの皮など)で造るものですから、当然おいしくない…。それにも関わらず、自宅の浴槽で発酵と蒸留まで行い、ジンを造る猛者までいたそうです。このジンは浴槽で造るため、バスタブ・ジンと呼ばれており、今でもそのように呼称するジンが販売されています(笑)

バスタブ・ジンが密造されていた当時のバスタブ…

そんなまずい密造酒を、なんとかおいしく飲みたいと願った人々が使用し始めたのが、このノンアルコールのジンジャービアした。ジンジャービアを割り材(ミキサー)として使用することで、きつい密造酒がおいしいカクテルに大変身!!ということでノンアルコールのジンジャービアもどんどんと普及していき、1904年にはシロップをソーダで割ることで大量生産を可能にしたジンジャーエール(カナダドライ)が登場、瞬く間に広まっていきました。現在でもバーで使用される割り材として、最も多く使用される炭酸飲料がジンジャーエール(またはジンジャービア)であることもこの歴史によるもので、色々な密造酒で割られていた分、カクテルの種類も豊富です。

カナダのトロント・スター紙に掲載されたカナダドライの広告 (1907年)

ジンジャーエールとジンジャービア
さて、上述の通りジンジャービアが1700年代半ばに誕生してから150年以上が経って、ジンジャーエール(カナダドライ)も登場しましたので、ここでしっかりと違いを説明したいと思います。
ジンジャービアがほとんど浸透していない日本で、お客様に必ず聞かれるのがこの違いについてです。わかりやすく記載します。

◆ジンジャービア……生姜を使って発酵させる。
→味わい深く、非常に美味しいのですが、時間も手間も費用もかかる。
◆ジンジャーエール……生姜か香料でシロップを造り、炭酸水で薄める
→味は単調で甘いのですが、時間も手間も費用もかからず、シロップは輸送もラク。

以上です。
ただ残念なことに、ジンジャービアと名乗る商品の中には、発酵という工程を経ず、シロップを薄めて造るだけにも関わらずジンジャービアと銘打って販売しているメーカーも多く有ります。これまで正しく定義されてこなかったのです。彼らの言い分としては、ジンジャーエールというものは香料を使用し生姜は使わないが、ジンジャービアは生姜を使って造る。だからうちの商品はジンジャービアだ、ということらしいですが…
そもそもジンジャー(生姜)を使わない「ジンジャー」エールって、、それは何なの?と(笑)
因みに、そんな疑問を抱いたのは私だけではないようで、ある大手ジンジャーエールは近年アメリカ本国で4度も訴訟を起こされています。「生姜が内容量の100万分の2しか入っていない」だとか、「缶に"Made from real ginger."(本物の生姜から造られている)と記載しているのに、調べたら無関係の香料と極微量の生姜香料を化合したものだった」だとかです。訴訟の結果はまだ出ていないようですが、、さすが訴訟大国ですね。
念のため記載しますが、弊社の発酵ジンジャーエールにはコンセプトや生姜の品種によりますが、生姜が4%~7%入っています。しかもパウダーではなく、生のものを砕いて煮出しています。7%以上入れたら「辛くて飲めない」とお客様に言われてしまったので、自重しています。
因みにパウダーの生姜を使わないのは、生姜はパウダーへの加工工程で香味成分が変質し、加熱と酸化によって独特のニオイが出てジンジャービアの味を悪くするからです。

弊社が使用している地元の生姜。貯蔵により辛くなる。

本当にそんな人気だったの?
ところで、ここまでジンジャービアが「普及」したとか、「人気だった」などと書いてきましたが、ジンジャービアが全然飲まれていないアジアの日本人には、にわかに信じられない話ですよね。
どれくらい普及していて人気だったのか一発で分かるデータがあるので紹介します。
1935 年の情報で、当時イギリスにはなんと3000軒以上、カナダには1000軒以上、アメリカには300軒以上(アメリカは禁酒法が厳しくて多くが廃業したため少ない)のジンジャービアの生産者がいたそうです。現在、日本全国の日本酒(清酒)の酒造が1600軒ほどですので、そを考えると、当時いかにポピュラーな飲み物だったのか、想像できますね。
日本では2023年現在、ジンジャービアのメーカーはたった2社。1社は弊社しょうがのむしで、もう1社は北海道にあります。本格的な醸造設備を擁するメーカーに限れば、まだ弊社だけです。これではあまりに寂しいので、そのうち100軒くらいには増えてほしいな、と思っています。

現代のジンジャービア
ジンジャービアは、一時は安価に大量生産できるジンジャーエールに押され、そのまま淘汰されていくかに見えました。しかし現在、世界はまたジンジャービアを求め始めているように思えます。
ノンアルコールやクラフト(手作り)分野に対する消費者の関心に比例して、欧米&オセアニアを中心に、新規参入する企業が続々と現れています。私はこのマーケットが今後急拡大し、アジアを含めた一大ムーブメントを起こすのでは?と考えていますが、そう思わせてくれたニュースを紹介します。

◆ジンジャービア生産量世界一のBundaburg(オーストラリア)は2018年にペプシコ(ペプシコーラ)と契約し、今後アメリカで40万店舗の小売店・飲食店での販売を可能にすると発表。

◆市場調査会社のThe Brainy Insights によると、ジンジャービアの市場は2022 年から 2030 年にかけて毎年平均7.3%の成長率を記録する見込みだそうです(別の記事では2028年までに年平均6.9%、市場規模は67億ドルに成長、とのこと)。曰く、消費者の健康志向による低アルコール飲料やノンアルコール飲料の需要の高まりが、ジンジャービアの消費を後押しし、さらにミレニアル世代とZ世代の間でクラフトドリンクのトレンドと文化の発展は、この市場を推進する可能性がある。主要企業のFever-Tree、Fentimans、Q MIXERS、BUNDABERG BREWED DRINKS、Reed's inc.などがその主な牽引役に。

◆IBIS World のアナリストによると、ジンジャービアはオーストラリアで最も急速に成長している飲料の 1 つで、市場は2017年~2019年で 80% もの成長を遂げた。

◆ブルックリンを拠点とするQ-Mixersは2008年に設立、ジンジャービアとトニックウォーターなど、カクテル用の炭酸飲料を製造している。2016年にはFirst Beverage Groupから1100万ドルの投資を、2018年にはEurazeo Brandsから4000万ドルの投資を受け、急成長している。

日本のジンジャービア
日本で初めて一般人に向けて炭酸飲料が発売されたのが、明治元年、その商品はラムネだったそうです。清国出身のアリンという方が京橋に炭酸飲料の製造所を作り、そこで弟子として働いていた鈴木乙松が翌年明治2年に築地で「洋水舎」という会社を設立し、「ジンジンビヤ」という名前の商品を販売し始めたそうです。同じく弟子のアチュー(蓮昌泰)は明治4年に独立※し、日本での炭酸飲料の黎明期を築きました。このジンジンビヤ、発酵させた本物のジンジャービアではなかったと思いますが、なんと日本人は明治2年にはジンジャービアと出会っていたようですね。商品画像も瓶もラベルも看板さえも残っておらず、残るはその記述のみ…。

※アリン=蓮昌泰ではないかという説が一般的なようですが、中国語の名前のニックネームの付け方の習慣からアチュー説が正しいと思います。蓮昌泰は広東語でリン・チュンターイと読みます。接頭の「ア」は日本語で言う「〇〇君」という感じの意味です。あちらの習慣では苗字のリンから「アリン」というのはあり得ず、必ず名前の一文字にアを付けます。ですので、蓮昌泰は元々仲間内で「アチュン」と呼ばれていたのが、日本人の間で訛ってアチューとなった、と考えています。

その後ラムネに淘汰されてしまったのか、商品としては残らず、後にジンジャービアの存在を知らない方々が書籍で「ラムネ」の歴史を論じる際に、ラムネは舌にジンジンときてヒヤーッとするところから「ジンジンビヤ」と呼ばれていたこともある、などと記載をしていますが、これはまず間違いなく無知が故の誤った解釈だと思われます。正しくは、ラムネはレモネードが訛ったもの、ジンジンビヤはジンジャービアが訛ったもののはずで、「ジンジンきてヒヤーッとする」は、ジンジンビヤという商品名ありきで後付けされや、ただの洒落でしょう。
このジンジンビヤ、当時かなり流行し非常な知名度があったようで、書物や歌舞伎の台本にも登場しています。
書物では坪内逍遙当世書生気質(1885)に「ジンジンビヤが沸騰するやうに怒るといふ詼謔か」と登場しますし、少し遡って1871年の歌舞伎、出来龝月花雪聚の序幕、真田幸村のセリフで「それには引替へ我々は、思ふ存分肩腰打たれ、今更なんと西洋のヂンヂンビヤの悲哀な立合」というもので、袋叩きにされた身体がジンジンと痛むことを、ダジャレで表現しています。

ラムネかジンジンビヤ!?かを題材にした版画(東京名所三十六戯撰 数寄屋河岸、明治5年)
当時は自立しないキュウリのような形をした瓶が主流だったようです。

参考:
https://www.fohbc.org/wp-content/uploads/2014/07/GingerBeerRootBeerHeritage.pdf
https://en.wikipedia.org/wiki/Ginger_beer
http://campusarch.msu.edu/?p=5117
◆ザ・ジュース大図鑑(串間 努, 町田 忍 )

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