田中一村展 奄美の光 魂の絵画〜東京都美術館
不屈の情熱の軌跡 田中一村展 奄美の光 魂の絵
田中一村展が 、2024年9月19日から12月1日まで東京都美術館で開催されている。
会期後半はおそらくかなりの入場者で混雑するだろうから(つい先日入場者が10万人を超えたらしい)先月最終金曜日の午後四時に訪問、
過去最大となる大回顧展に、一村という画家の画業、一村を世に送り出した無名の人々の熱く厚い情熱を再び体感し、今なおその余韻の中にいる。
私が初めて田中一村という画家のことを知ったのは 田中一村 新たなる全貌展(2010年、千葉市美術館ほか)を取り上げた新聞記事だ。
その時は訪れる機会がなかったが、2021年の 田中一村展ー千葉市美術館収蔵全作品 を知り、やはり新聞の展覧会記事も読み、今回行かないとぜったい後悔するなと出かけたのだった。
齢五十にして奄美へ移住し、亜熱帯の鮮やかな花鳥を題材とした日本画を描いた孤高の画家ということぐらいしか知識がないまま、時系列に展示された神童とよばれた幼少期の作品から千葉時代の作品・手紙と丁寧な説明を読みながら、一村という画家の、修行僧の如きストイックな生を巡る。
静かに確実に圧倒され、最後、奄美での作品「アダンの海辺」の前に立ったとき、神々しさのベールに包まれたような感動を覚えた。
それは数年経った今もなお深い感銘と感動に浸ることになる展覧会だった。
そして次の展覧会は没後五十年に当たる2027年だろうと思っていたら、まさかの今回の大回顧展、しかも過去最大規模だという。
並ぶことなく入場。
アダンの浜でのセルフタイマーで一村自らが撮影されたと思われる、きりりと一直線に前を見る、見るたびに美男子だなぁと思う彼のセルフレポートに迎えられる。なぜか懐かしい気持ち。
そして主催者の ごあいさつ を読む。
読み終えてじんわりと胸にせまったのは、田中一村の作品を残し後世に伝えるために奔走された関係者の思いと、「最後は東京で個展を開き絵の決着をつけたい」と語りながら、奄美にて没した一村への鎮魂の心持ちがひしひしと伝わってきたからだ。
(展覧会概要、一村作品については展覧会の公式HPをお読みください)
今回あらためて魅入ったのが、一村二十代前後の作品群で、墨画に描かれた草木花や詩の文字など、天才と称された彼の技量もさることながら観るものに容赦なく伝わる漲りほとばしる自然の生命謳歌、青年期の一村の自信と大胆さ、それらが晩年の奄美での ”南の琳派” (大矢鞆音氏による)と呼ばれる大作に息づいているのだと感じさせられた。
そして一村の将来を決めることになる作品の前で少し首をかしげる。
「 秋晴」
(1948年、一村40歳のときの第20回青龍社展出品作品で、惜しくも落選)
金屏風に千葉寺にある農家の風景ぎ描かれた作品で、夕暮れ時の金色に輝く農家の夕景が厚く塗り重ねられたシルエットのように描かれた作品。
金屏風が実際の夕焼けに輝く風景を表すそれは、下から当てられた照明で一村の計算された効果がまったく生かされてないように思えて残念。
スケッチ、写真などの展示が続き、一村が頼まれるままに描いた奄美時代の肖像画のコーナーでぐっと胸が熱くなる。
一枚の貴重な小さな写真を基に描いた市井の人々のやわらかな微笑みの肖像画が、時を経て、すでにこの世にはいない人々の生を浮き上がらせて見せてくれていることに胸が熱くなった。
最終章へと進む。
まさしく晩年の大作、未完作品が目白押しの展示室。
作品との間隔もさほど広く取れないからだろうけれど、やはりもう少し広い空間で作品世界に入り込みたかった気持ちも抱いた。
奄美は湿度が高く、それはグレーに表現されるという。
一村の奄美でのほとんどの作品はそのグレーをベースに、奄美の植物、ビロウジュなどの葉の隙間から入るやわらかな光と、日本画で表現された鮮やかではあるけれど奥深い色使いと鋭いまでの観察眼で細やかに想像を絶する時間をかけて描かれた植物と鳥や蝶で構成される。
見つめ観察した先に到達できる自然を超越した世界をみせてくれた一村は、やはり日本の誇るべき日本画家なのだと展覧会会場を後にした。
そしてショップで迷いに迷って図録を買い、上野公園を通り抜けてJR上野駅へと向かった。
帰宅して、早速図録を読みふける。
そして一村について記された本をまた借りてきて再読する。
やはり同じ本の同じページで感涙。
(一村作品を観た後での笹倉慶久氏が一村に投げかける罵声とその心情が描かれたシーンではやはり胸が詰まる)
今回の展覧会では一村を世に知らしめた一村最晩年に会った若者三人のうちの一人で、今なお一村の講演会などで一村を語り継ぐ活動を続けていらっしゃる田辺周一氏が撮影した一村の写真は展示されていなかったが、この写真が在るからこそ伝わる一村のリアルというものもある。
(ここで画像添付するのは少し違うと思うので、下記の添付URL 在りし日の一村をクリックしてみてください)
前回の展覧会後に買った 別冊太陽 田中一村 "南の琳派”への軌跡 はこの展覧会ショップでも販売されていて、おススメの一冊。
紙質も作品の印刷もコラムも充実。
(ただ一つ残念というか、不快に感じた箇所があったのが対談で、確かに一村存命中、村の住民の一村への処し方は色々あっただろうし、遺品整理についても混乱の中、不可解なこともあったのだろうけれど、あえてそれを、長く残るであろう本に記す必要があったのかと甚だ嫌な気持ちになったが、詳細は記載しない)
田中一村伝といった本が何冊かある。
幾つかの本に記されている、我々が目に出来る最晩年の一村の唯一の写真を撮影した写真家・田辺周一さんたち三人の若者、奄美での一村の最晩年を支えた奄美焼き窯元ご夫妻との出会いを綴ったページは、ぬぐってもぬぐっても涙が落ちる。
彼らとの出会いがなかったなら、一村の魂の作品は、世に出ることもなかっただろうと考えると、縁というものは人智の及ばない運命の如きものなのだと考えてしまう。
奄美後期の一村最晩年のエピソードについては各本によって記載内容が若干違っていて、たかだか四十数年前の事柄で、同じ方々へのインタビューなのに、なぜ違っているのかが不思議に思えた。
世にあまたある伝記の類って、作家の私的思い入れ、あるいは著書の狙いによって事実と異なる構成になっているわけだ。
最晩年、1977年一村を訪ねた若者たちを相手に大切に保存していた新聞のカラー写真を見せながら、東京美術学校日本画科の同期生・東山魁夷画伯の「濤声」について、一村が厳しく批評する場面がある。
一村らしいなと思わず相槌を打った。
一村没後の1979年、一村遺作展の準備期間中、中野惇夫氏(アダンの画帖 田中一村伝著者)が東山魁夷画伯に電話でインタビューをするシーンの文章もじんわりと心を打つ。
一村評価を、生涯の鮮烈さによって画業をとらえるのではなく、本来の画業に立ち返って研究すべき、という流れは正しいだろう。
だけど一村を世に出した市井の人々の「一村という画聖を世に出すプロジェクトX」ともいえる事柄は後世に性格に伝えられるべきことだ。
今、その潮流が始まったのだと思う。
2024年忘れられない展覧会 note
長文になりましたが、ぜひ展覧会に足を運んで、まず田中一村の作品をご覧ください。
✳︎この記事の最後近くで東山魁夷に触れていることもあり、ミック@アート好きのノートさんがnoteに東山魁夷評を書いていらっしゃるので紹介させていただきます。
ずっと感じていたことがストンとわかりやすく理解できる素晴らしい記事です。
ぜひ一読を!