二人のピアニスト~ブーニンとツィメルマン 二つのリサイタル
12月9日
スタニスラフ・ブーニン ピアノ・リサイタル~10年振りのリサイタルツァー
12月13日
クリスチャン・ツィメルマン ピアノ・リサイタル~深化する孤高のピアニズム
どちらもサントリーホールでの公演。
今もまだ余韻が続いている二つのリサイタルの雑感 note
サントリーホールの演奏会に行くときは開場時間の1時間前には溜池山王駅に着くように家を出る。
それからサントリーホール隣の ANAインターコンチネンタルホテル東京 にある ピエール・ガニェール パン・エ・ガトーで開場時間まで過ごす。
開場時間5分前にホールに向かう。アーク・カラヤン広場までは約20秒?
12月13日 クリスチャン・ツィメルマン ピアノ・リサイタル
1975年、第9回ショパンコンクールを史上最年少(18歳)で制覇、着々とキャリアを重ね、クラシック音楽での世界最高峰のピアニストの一人に挙げられる巨匠。
まさしくその通りの動画。(ショパンコンクールの動画ではありませんが)
2023年、67歳になったばかりのツィメルマンのリサイタル。
「きっと人生の素晴らしい思い出になると思う」と熱く語る友人と鑑賞した。
今回のリサイタルを絶対聴きたいと思ったのがこのプログラム。
同郷の作曲家ショパンから始まり、ドヴュッシー、最後にポーランドの作曲家シマノフスキという構成で、リサイタルが終わって、今のツィメルマンの哲学を含んだ緻密で完璧な構成だったのだと思い知る。
(ショパンの葬送がシマノフスキの変奏曲中の葬送行進曲へ繋がっていく構成でもある)
プロローグであるホールを和ませるショパン夜想曲第2番、決してロマンティシズムに流れず、ツィメルマンによってホールの残響まで考えて最終調律された彼のピアノでショパンの夜想曲3曲が奏でられ、時に硬質で強靭なタッチでベートーヴェンの音楽のように聴こえてきた。そして次のピアノソナタ2番へと流れが作られる。
ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調「葬送 」Op. 35
圧巻の一言。
ゆっくりと一音一音深く強く切り込まれる打鍵での第一楽章序奏、そこから主題に入る音楽がこれまで聴いたことがないインパクトある演奏。まったく揺るぎがなく、一音一音が個々に主張するのではなく、降り始めた豪雨のバラバラと音立てる雨粒ではなく、しばらくして音の塊になって轟く豪雨の雨音のような音群に瞬時になり、例えば神によって命令されたかのような統制を持った音楽が次々と繰り広げられる。
ピアノの前に背筋を伸ばして美しく座り演奏するツィメルマンが神にしか見えなくなる。地上から見る葬送ではなく、天から見る葬送。最後に放たれた音がホールに響くのを、わずかに左手でタクトを取り、静まらせるその姿は音楽の神にしか見えなかった。
これまで聴いたどんな演奏より強烈な印象として刻まれた。
休憩の後、ドヴュッシーの演奏。
作曲年が次のシマノフスキの曲と近く、シマノフスキへの流れを作る選曲なのだろうか。やはりキラキラパステルカラーの印象派の色彩のドヴュッシーではなく、モノクロで石造りの建物の中で聴くような硬質でダイナミックな演奏で、先日の務川慧悟さんのリサイタルで聴いたドヴュッシーの音楽の印象と重なった。
シマノフスキ ポーランド民謡の主題による変奏曲 Op. 10
ポーランドの民謡が緻密にアレンジされて繰り広げられる変奏曲は、時折フリージャズを思わせられたダイナミックな演奏。やはり神の音楽だ。
因みにこの曲は1906年ワルシャワでブーニンの祖父であるゲンリッヒ・ネイガウスによって初演されたのだそうだ。
滅多にアンコールは弾かないツィメルマンが二曲アンコールに応え、最後の曲(ラフマニノフ:10の前奏曲 二長調 Op. 23-4)が消えゆくと同時にピアノの鍵盤の蓋を静かに閉め、聴衆にチャーミングな笑顔を浮かべて、ツィメルマンの至高の演奏会は幕を閉じた。
まだまだリサイタルの余韻は続いている・・・
12月9日 スタニスラフ・ブーニン ピアノ・リサイタル
初めてブーニンのことを知ったのは多くのファン同様、世界に衝撃を与えた1985年第11回ショパン国際ピアノコンクールでの、当時19歳での優勝を報じたTVニュースでだ。
その後放送された番組で日本でのブーニン人気は頂点に達す。
私もリアルタイムで番組を観たときの高揚感を今でもはっきりと憶えている。
(素晴らしい記録番組です。ぜひご視聴を!)
1988年、その頃夫の駐在で家族でソウルに住んでいたとき、オリンピックイヤーの芸術公演でブーニンのリサイタルが開催された。
会場は一種の興奮の坩堝で、聴衆は一曲終わるごとに拍手をする。それが繰り返され、ブーニンが客席を向いて苦笑いしながらそれはやめてほしいというジェスチャーをして、通常の演奏会となった。
雷神のごとく疾走する若きカリスマピアニストが、満員の聴衆の心を鷲掴みにした感動のリサイタル。
ショパンワルツOp.34 No.3とグレングールドを彷彿させるバッハ=ブゾーニ:シャコンヌは鮮烈な思い出の曲だ。
私は誰に対しても推しといえるほどの熱烈ファンになることはない性格。
だから2022年11月に放送されたNHK-BSプレミアム「それでも私はピアノを弾く~天才ピアニスト・ブーニン9年の空白を越えて~」を観るまでは彼の病気と怪我、その後の手術と麻痺などについてはまったく知らなかった。
番組は痛いほど心に沁み、最高の伴侶である夫人とのまさに夫婦二人三脚の壮絶なリハビリの時間、ジャーナリストでもある夫人の「彼はステージに立って聴衆の前で演奏してこそのピアニスト」という言葉に支えられての2022年のリサイタル「 スタニスラフ・ブーニン~再会」の様子、特に昭和女子大学人見記念講堂でのアンコール曲であるショパン マズルカOp.67-4 イ短調が流れたとき、感涙。今の彼だから伝わってくるショパンの人生を投影した演奏に静かに感動した。
だからリサイタルのチケットが発売されるとすぐに購入、12月9日のリサイタルを待ちわびたのだった。
大ホールはブーニンへの変わらない熱く温かい応援を続けるファンやかつてのブーニンフィーバーを実際には知らない世代(小学生も含めて)で満席。
終始ブーニンへの温かい拍手が響いた。
まだスムーズではない演奏箇所があることはあるけれど、そんなことより嬉しいのは、こうして聴衆を前にリサイタルを開くことを決意した彼のピアニストとしての矜持と熱情を見ることが出来たことだ。
ショパンの作品の中でブーニン自身が大好きな作品であるショパンのポロネーズ「幻想」は、彼の長いショパン演奏キャリアが随所に煌めくブーニンのショパンといえる情熱的な演奏だった。
演奏がすべて終わり、まだ満足のいく演奏ではなかったという表情で微笑むブーニンに、いつまでも拍手が続いた。
何よりこうしてブーニンに会えた満足感でファンは幸福な気持ちに包まれていたのだと思う。
最後のアンコールの音が響き、思わず胸が高鳴った。
あの曲が流れ始めた。ショパン マズルカOp.67-4 イ短調だ。
静かに熱く耳を傾けた。
温かさに包まれてサントリーホールから 溜池山王駅へと向かった12月の日。
*リサイタルの様子を含め、TV放送されるようです。
新春特別番組ドキュメント放送決定‼️「スタニスラフ・ブーニン10年の空白を乗り越えて(仮)」NHK総合 2024年1月1日 13:05分~13:49分
ブーニンの音楽哲学などが語られている読み応えのある記事です。一読を↯
ファンとパトロンがあってこそ、両輪に支えられて芸術家はその道を進むことが出来る。
ファンと共にブーニンを支えるのがイタリアのピアノメーカー FAZIOLIジャパンだ。
彼の音を奏でるために作られたコンサートピアノが全国の演奏会場へ運ばれる。サントリーホールでもそのFAZIORIを見ることが出来た。
2021年第18回ショパン国際コンクールでの覇者ブルース・シャオユー・リウが選んだのがFAZIORIで、ファイナルでの彼の演奏はサンクチュアリとはこの世界なのだろうとときめき、FAZIORIの魅力を最大に魅せていた。
華麗で煌びやかで硝子のような音質。
それがよくわかるショパンコンクールでの反田恭平さんの動画です。
FAZIORIとスタインウェイで同じ曲を演奏している動画を最後に添付します。
Rondo à la Mazur in F major, Op. 5(マズルカ風ロンド)↯
ラルゴに続いて1:19:40からRondo à la Mazur in F major, Op. 5(マズルカ風ロンド)の演奏です。↯
※長い note になりました。
語彙力に乏しい雑文で、その上添付しておきたい動画も多いですが、2023年の忘れられない感動の備忘録なので二つのリサイタルの記事としてまとめました。