イギリスでの出産の振り返り
先日、息子が誕生日を迎えた。やっと1歳、長かった一年。
コロナ禍での海外妊娠、出産は本当に大変だった。
それでも色々面白い経験をしたので、書き残そうと思う。
超音波検査は3回だけ。
画像はプリントされず、ケータイで取る。
超音波検査(Ultrasound)は、10週〜14週に行われる12 weeks dating scanと、18週〜21週の20 weeks scanの2回が基本。
私は高齢出産だったので追加でもう一回あった。
コロナの影響で、15週くらいにDating scanを受けた。夫は残念ながら入館すらも許されず、一人で確認することとなった。初めて見る我が子は5センチ位。しっかり生きていてくれた事に感動するも、夫と共感できなかったのは残念。
画像プリントはしてくれないので、携帯で撮ってwhat’s upで外で待っている夫に送信。3回とも一人で受けたのだが、夏の帰省時に、夫の故郷で産婦人科を訪ねることとなり、一緒にスキャンを受けた時の夫の感動した顔が忘れられない。
病院食が意外に美味しい。
イギリス=まずいがスタンダードになっているけれど、私が選んだNHSの病院は3食とも選べて、予想外に美味しかった。
しっかり食べる人(私)には、おすすめされたカレーセット(デザートのゼリー付き)や、あまり食欲がない場合は、スープとパンのセットやサラダなど、そこら辺のファミレスと同じくらいの豊富なメニュー。尚、他の病院で出産した友人は、選択などは無くて全ての病院が同じではないみたい。
病室を出てすぐにあるセルフサービスの温かい飲み物は、いつでも飲める様用意されていた。夜間はお菓子も用意される。授乳で起こされ、変な時間に空腹だった私にはとても重宝した。
出産後の赤ちゃんを洗ってくれない。
三日かけて、やっと産まれてきた我が子。
夫が切ったへその緒の処理や、オムツなど助産師が色々してくれた後
手渡された子供の髪は、まだ血が残っていてびっくり。
夫に「ちゃんと洗ってくれたの??」と聞いたら、感染症予防の為洗わないルールだとのこと。
へその緒が取れるまでお風呂には入れられなかったので、
血のついた髪にベビーオイルを馴染ませて、濡れタオルで拭いていたけれど、
へその緒が取れた日には、即お風呂に入れたのはいい思い出。
陣痛時にはパラセタモール(アセトアミノフェン)が出される。
頭痛や発熱時には、イギリスではパラセタモールが広く一般的に使われる。日本で言うバファリン的なポジションだと思う。
5人部屋で陣痛間隔が狭くなるまで、しばらくそこで寝泊まりする。陣痛間隔が狭くなり、朝でも夜でも痛みに耐える声が聞こえるので、なかなか休めないし、カーテンで仕切られていても周りの状況が丸わかりである。
どうやら私が痛みに強いのか、周りの妊婦さんが痛みに弱いのか、頻繁にナースコール(正確にはミッドワイフコール)がかかり、妊婦さん達には痛みを和らげるパラセタモールが配られている。陣痛にパラセタモールって???とカーテン越しで疑問に思いながら過ごした丸2日。陣痛がキツくなってきたけれど、出産部屋が混んでいる理由で私もパラセタモールを飲んで待たされた。効いたかどうかは今でも不明。
感動は産後数時間だけ。そこから自分との戦い。
姉の第一子出産時、病院で生まれたばかりの甥は姉とは別の部屋で、他の赤ちゃんと一緒に眠っていた記憶がある。姉は美味しい病院食を食べて、疲れた体を休ませていたと思う。
私の病院では、産後母子共に一緒に過ごす。6人の共同部屋で、各ベットの横に赤ちゃん用ベットが設置される。これが出産後の大変な時間の始まり。
出産する3日間は、前に書いた様にまともに寝れていない。何より寝たいが授乳がある。今思えば、出産直後母乳は出ていなかった。それでもまず吸ってもらう様指示され、それでも足りない場合は、ミルクを自分で用意する。
ミルクを用意するのは、共同の給湯室まで行かなければならない。
寝静まった夜中の部屋で、我が子の鳴き声が響き渡る。他のお母さん達が目をさます気配を感じながら、飛び起きて出ないけれど乳を吸わせ、それからあやしつつ片手に息子、片手に尿タンクを持って、疲れきった両足を引きずりながら亀の様に給油室まで行き、ミルクも持ってベットに戻り、授乳を2時間おきに繰り返す。ゲップがでなくて、時間がかかると私の睡眠時間が削られた。
コロナで面会時間が限定されていたお陰で、毎朝楽しみに病院にくる夫に、不機嫌で愚痴る私。昼間はできる限り寝たいが、息子は黄疸、私は血尿でドクターや看護師が引っ切りなしに来るので、全く休め無い。母子共に健康で、翌日には退院できるお母さんたちを横目に、帰宅できる日を待ち侘びていた私。もし1日で退院なんてと心配しているいる妊婦さんに、それはとてもラッキーなんだと伝えたい。
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