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「奇妙」なもの、この魅力的な「鏡」 : 『成人式を社会学する』


はじめに

 『成人式を社会学する』(有斐閣、2024年)を編者の元森絵里子さんよりご恵贈頂きました。ありがとうございます。
 本記事ではお礼に代えて、取り急ぎの読後感をメモしておこうと思います。
 本書の目次は以下のようになっています。

序章 「成人式」への社会学的アプローチ──社会のしくみの襞を浮かび上がらせる(元森絵里子)
第1章 成人式言説の変遷と青年・若者観──年齢をめぐる普遍性と階層性の忘却(元森絵里子)
第2章 成人式と着物をめぐる欲望──「買う」から「借りる」のなかで(小形道正)
第3章 現代社会における人びとの「大人である」という認識──計量分析から見る主観的評価と客観的条件(林雄亮)
第4章 「荒れる成人式」とは何だったのか──「大人になれない」新成人をめぐるモラル・パニック(赤羽由起夫)
第5章 「鏡」としての沖縄の成人式──階層とジェンダーから見た共同性との距離(上原健太郎)
第6章 在日コリアン2大民族団体と「成人式」──同化を差異化で上書きする「自分たち」の行事(ハン・トンヒョン)
終章 奇妙なものにあふれたこの社会で──「成人式」という対象と「社会学」という方法(ハン・トンヒョン)

https://www.yuhikaku.co.jp/books/detail/9784641175006

 また、本書の序章と終章はこちらからも立ち読みすることができます。

「社会学する」やり方、そのおもしろさの伝え方


 序章「「成人式」への社会学的アプローチ──社会のしくみの襞を浮かび上がらせる」(元森絵里子)では、本書のタイトルとなっている『成人式を社会学する』ということは一体何をすることなのか、が提示されています。

 成人式は必要か否か、どうあるべきかという規範的な議論から距離をとり、そのような議論を繰り返し織り込みながら、75年以上も毎年全国各地で行われ続けているこの行事の奇妙さを、まず事実として浮かび上がらせる。そしてその先に、その奇妙さを支えるこの社会のしくみを多角的に描き出してみたい。それは、自明化した社会のしくみの襞を浮かび上がらせることを得意とする社会学的アプローチの、恰好の実践例ともなるだろう。

序章(p. 19)

 上記の序章に応答する形で、「終章 奇妙なものにあふれたこの社会で──「成人式」という対象と「社会学」という方法」(ハン・トンヒョン)では、成人式のような「奇妙」なものが「鏡」となって映し出す、社会のしくみを描き出すことが「社会学そのものの使命」として再度定式化されています。

 なぜ続いているのかよくわからないのになぜかとても強固なもの、因果や過程を説明できたと思った瞬間、私たちの手をすり抜けていってしまうようなもの……。何も成人式だけではない。私たちの社会は、このような「奇妙」なものにあふれており、それは私たちの社会を映し出す「鏡」になっている。
 「鏡」が映し出すもの、その「奇妙」さを支えるこの社会のしくみを描き出す――それは社会学そのものの使命だろう――というところまでたどりつけたかどうかはわからない。もちろん、盛り込めなかった論点もたくさんある。だが、自明化した社会のしくみの襞を多少なりとも浮かび上がらせることはできたのではないだろうか。そして、何よりもその恰好の実践例という意味で、とくに学生をはじめとする初学者に、「社会学する」ことのおもしろさを感じてもらえたのなら幸いだ。

終章(p. 275)

 終章で紹介されている担当編集者(有斐閣・四竈佑介さん)の企画書にもあるように、本書は(なぜだかよくわからないが続いてしまっている)成人式という「一見どうでもいいこと、取るに足らない奇妙さ」(p. 273)を扱う実践例を通じて、社会学の持つおもしろさを初学者に伝える入門書としての特長も持っています。

錯綜する文脈を読み解く

 本書では各章ごとに多彩なアプローチで「社会学する」を実践しており、それぞれに魅力的なのですが、個人的に印象深かった「第1章 成人式言説の変遷と青年・若者観──年齢をめぐる普遍性と階層性の忘却」(元森絵里子)について書いておきたいと思います。

 本章では成人式をめぐる言説を「模索期」「定着期」「アノミー期」「再編期」に区分して検討しています(p. 26)。

 敗戦後から1950 年代前半までの「模索期」には、成人式そのものの「迷走」もあいまって、成人式言説も模索が続いていました。

 その背景にはどうやら、戦前期から続く成人式のルーツとして「ノンエリート青年向けの社会教育」という文脈と(p. 29)、「非行」「不良化」を最重要部分とする「青少年問題という文脈」(pp.31-32)が交錯していることがわかってきます。

 以上から考えて、成人式は、小卒層「青(少)年」の教化や不良化予防の施策を国家が張りめぐらせた戦前期の文脈を、おおいに引きずって始まったといえるだろう。「青年」という普遍的発達段階であるかのような語を用いつつも、現代につながる「大人になる」道筋を生き始めた相対的に豊かな層とは、異なる「大人になる」道筋を歩む層をターゲットとしていた。

第1章(p. 38)

 しかし、そのような「戦前期由来の階層化・ジェンダー化された「青年」イメージ」は、「敗戦後の民主化過程で理念として普遍性が前面に出された「青年」のイメージ」とせめぎ合っていくことになります(p. 39)。

 本章では、その後の「定着期」以降の成人式言説において、前者の感覚(階層化・ジェンダー化された「青年」イメージ)が失われていく歴史が描かれています。
 その背景には、学校教育への「包摂」の進展、特に「勤労青少年層も正規学校教育に組み込まれていったこと」(p.44)がありました。

 目の前にあるはずの「青年」「若者」内部の差異を捨象する語り口が広まったのは、このようなかたちの「みんなが高校に行く社会」が急速に形成されていくことと無関係ではないだろう。序列の下位校ほど、出自に由来する不利を抱えた者が多く含まれていたはずだが、戦前期とは比べものにならない数の若者が高校に行けるようになっていく過程で、それは「青年」「若者」内部の分断としては語られづらくなった。

第1章(p.45)

 このように第1章では、成人式が複数の政策領域の文脈(社会教育、青少年行政、そして学校教育の間接的影響も)が合流する地点であり、それゆえに戦後をかけて生じた「青年」像や「大人になる」イメージの錯綜と変容を鮮やかに映し出す「鏡」であること、それが社会そのものの変化をも映し出す魅力的な「鏡」であることが描かれています。

 その他に興味深い論点も多数盛り込まれているのですが(包摂と排除、更に序章での規範化と差異化など)、続きはぜひ本書をお手にとってお読み頂ければと思います。

おわりに

 終章では本書成立の経緯(pp.259-261, 立ち読みできます)が記されていますが、自分よりも年長の研究者たちがこのようにフットワーク軽く、魅力的な共同研究を形にする姿を見られたのはとても刺激になりました。

 編者の元森さんのこれまでの研究(「子ども」や「子ども/大人」をめぐる言説の歴史社会学)を知っているからこそ、これまでの研究の確かな蓄積の上に、「成人式」という身近な切り口で「社会学」してみることのおもしろさが説得力をもって伝わってきました。

 また、私のように著者のこれまでの研究を知らない方でも、本書はストレートに社会学の魅力を伝えてくれる入門書として有意義なものだと感じました。ぜひ多くの方にお手にとって頂けるといいなと思います。