【大人の成長・発達とは?】
仕事をしていると
仕事が「できる」「できない」という指標ではなく
人として「この人すごいな~」と思うことがある。
自分の中ではその様な人を
「人として成熟している」と勝手に呼んでいる。
成熟している人間は
私とはなにが違うのか?
子供の量的な成長・発達とは違う
大人の質的な成長・発達と呼べるだろう。
元々、成熟している人は
幼少期からそのような成長していたのかも
しれないが、それには希望が持てないため
その可能性はないものとしておく。
はじめに
・発達段階について
・大人の成長・発達に必要なものはなにか
・思ったこと
発達段階について
発達段階「利己的段階」
・人口分布:10%
・自己の「欲求」「願望」「関心」に支配
・他者が自分にとってどれだけ役にたつか
発達段階「他者依存・慣習的段階」
・人口分布:70%
・自己は他者によって定義される
・価値観は社会によって構築される
発達段階「自己主導段階」
・人口分布:20%
・自己独自の価値体系を自ら構築
・自分の意見と自分を同一化する
・自分の価値体系の枠組みに囚われ、自分の価値観や視点から距離を置くことができない
発達段階「相互発達段階」
・人口分布:1%未満
・自己を構成するいかなるものにも同一化していない
・他者の存在が自分の成長に不可欠という認識
・柔軟な思考と新しい自分を作る。
相互発達的とは、自分の価値体系をオープンなものにし、他者と関わりあうことによって、お互いの成長・発達を促す触媒になる。
大人の成長・発達におけるポイント
①俯瞰・客観的に物事を見えるようになること
②技術を発動させる根幹部分の知性や意識を発達させること
俯瞰・客観的に物事を見れるということは
自分以外の視点がわかるということだ。
上記にもあるように
発達の段階には自己→他者→メタ視点の順番に
発達していく過程がわかる。
思ったこと
最近までは、自分の価値観が所属する集団によって
構築されていることに違和感もなく過ごせてた。
ある時から急に所属する集団でよく使用される
「ルール」「普通」「一般的」に対して
違和感だったり窮屈な感じを覚えた。
スーツを着て、髪形を揃えて、
その会社の一員になるのであれば
集団での規則・ルールは仕方のないこと。
しかし、「普通」「一般的な」ものを盾に
価値観・思想を他者に押し付けてくるのは
違うのではないかと思う。
なぜ絶対的なものなんか存在しないのに
「みんな当たり前のようにやっているから」の一言が
自分の価値観を支配してされているような気持ちだ
これは、他者によって構築された価値観から
自分独自の価値観へ移行している時期
なんだろうと思う。
他者からの価値観を押し付けられたら
「普通という価値観もあるということ」
「自分は普通というものから少し離れることができた」
というように解釈することにして
気持ちを穏やかにしようと思う。
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