頭が良い人は実はビビりだった 7/31
こんばんは。
少し卑怯な手を使って投稿しています。
今回はこの記事について取り上げさせていただきます。
頭の良さの基準が分からない
皆さんは頭がいいですか。この会話をするうえで、何を基準に頭がいいという話題が重要です。多くの場合は学力で判断するでしょう。偏差値はその大学の頭の良さを測る基準といえるかもしれません。
もちろん、偏差値だけで学力が図れるというわけではないと思いますし、人の学力と入学した大学の偏差値が一致しているとは思いませんが、世の中の多くの人間が偏差値を学力の基準にしているのは間違いありません。
東京大学は日本でも最高の偏差値として、通っている人は頭がいいという認識があります。頭が悪い人と東大の人間にどのような差があるのかは純粋に気になります。
注意書きと頭がいい人の特徴
このnoteを書くにあたって、私は筆者の視点になって考察しています。筆者を頭が悪い人どころか、とても賢い人だと思っております。ただ、記事の中の表現を使ってnoteを書かせていただきます。
記事の中では、筆者が東京大学に合格するまでと、大学生活において、東大生と自分の違いをもとに頭の良い人の考え方を考察しています。頭の良い人は日常の疑問が多く、学習の機会が多いそうです。
記事を読んで
私が気になったのは、頭がいい人は疑問への感じ方が違うということです。私は頭のいい人は疑問への恐怖心が大きいのでしょう。これは私の考察的な話になってしまいます。
何事にも「なぜ」と思うのは、好奇心というものからくるでしょう。人間は知的好奇心によって多くの文明を生み出してきました。科学者は好奇心旺盛でめんどくさがりだと思います。
好奇心の奥にある恐怖心
私は強い好奇心は恐怖心からくるものだと考えています。人間はわからないことが怖いのです。同じ道を歩くのでも、目をつぶって前が分からない状況だと恐怖心が違います。
小さな好奇心では、理解をあきらめる選択肢があります。しかし、強い好奇心というのは、わからない=恐怖というものの延長線上にあるため、面倒をかけても探求したがるのだと思います。
知ろうとしている事柄を知らなくても、命にかかわらない場合であっても、わからない恐怖が根付いているため、少しの面倒を惜しまないのです。人に聞いてわかる程度ならわざわざ聞きに行くのでしょう。
功績を残す人だってビビり
先ほども述べたように、世の中の発明や研究は好奇心(わからないことへの恐怖)から来ているため、世の中の物事を理解するうえで、頭のいい人は発明家と研究者と同じものの考え方で取り組んでいるんだと思います。
考え方が同じ人間と違う人間とでは、わかり合うのに大きな差があるのは皆さんもわかるでしょう。この感覚は人間の本能的な部分にあるため、これからも役に立つでしょう。
気を付けてほしいのは、潜在的な感情であって、実際に頭のいい人(そもそも頭がいいの基準が曖昧)が知らないことの恐怖を自覚しているとは限らないということです。
分からないことは怖いほうがいい
私は何かの研究結果をもとに考察したわけではないですが、大きな間違いということはないと思っています。この感情は人類をこれからも発展させる感情なので必要だと思っています。
私も、もっと知識に貪欲になって、知らないことを恥じるのではなく、怖がって知識を増やしていきたいとおもいます。まずは、物事に疑問を感じることから始めていきたいです。