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命売ります

三島由紀夫の作品。読み始めたら、読み終えた。


軽い文体ではある。週刊プレイボーイへの連載とのことだが、雑誌といっても昔はいまに比べていろんな文章を詰め込んでたんだな、と思った。


この作品は後回しでいいか、と思っていたのが、時間のある今読もうと思って、夕方読み始めたら、終わった。

荒唐無稽な設定のなかに、鋭い視点があるのは面白い。
当時、豊饒の海を書きながら並行してこういうものも書いていたのか、と思うと、息抜きのようなものだったのかも知れない。そういうもののほうが、本音が出たりして。


ものがたりのなか、観念で制御できなくなった本能は、近すぎる他者を起点として生きることへのリアリティを獲得してしまった。この種の展開の中心に若者を据えるのは、ある種当たり前といえる。ラスコーリニコフ然り、ムルソー然り、そして、このものがたりに出てくる羽仁男もそうだ。
観念が現実に先行する若者でなければ「命売ります」と言ってもただ重たくなるばかりで、窒息するような建付けになるだろう。
若者の行き過ぎた観念に、現実認識が追いつく場面があるから、ものがたりの展開が可能となる。

途中から、他の登場人物の存在により主人公の認識が裏返るような展開がみられ、安部公房を思わせる部分があるが、最後に現実世界に戻ってくるあたりが、書き手のアプローチの違いに思える。

平岡公威は、このものがたりのような感性をある程度持っていたのかもしれないが、仮にそうだったとしても、彼の創り上げたあるべき作家像であるところの三島由紀夫は、これを観念で捻じ伏せ続けたように思う。
大衆に理解可能なレベルのものを具現化することで、観念上のあるべき姿との違いを再確認したようにも思えるのは、これはリアルタイムを知らない者の勝手な憶測である。



人間椅子の曲「命売ります」は、テレビドラマに合わせて作られたものであるらしい。
焦燥感のあるイントロから寄る辺ない若者のジリジリとした心の様子をうまく表現しているように思う。自分より長生きしている彼らの作った曲を、三島が聞いたらどう評すだろうね。「ロックというのはそもそも、知性を感じないね」とか言いそう。


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