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あなたへの手紙

 特定のどなたかに向かって手紙を書く。
罫線の入った紙を前にして姿勢を正し、

拝啓
 山の色づく季節になりましたが、お変わりありませんか。

そういう機会はほぼなくなった。オンラインは、便箋を買い求める手間、切手を選ぶ時間、投函するまでの空気のにおい、そういうものがすべて省略されてしまって、文字情報だけが届く。それは便利さでもあって、わたしたちはそれを疑いなく享受している。


手紙とは、
相手に届いてほしいという気持ちをもってしたためるもの。
相手の顔を思い浮かべて、心へ届け、という願いとともにつづるもの。

わたしの手を離れた手紙が、ほんとうに相手の心に届くかどうかはわからない。届くかどうかの期待と不安と。届いてほしいという気持ちをそのまま心からすくいあげて、文章のかたちとしてととのえる。こころをととのえる作業でもある。

気持ちを乗せるから手紙になるのか、手紙というものはそもそも気持ちを乗せる手段なのか、そう思いながらわたしは、あなたへ手紙を書いたことがない。

なぜならば、住所も名前も、顔すら存じ上げないからである。

けれども、手紙を一通差し出す、としたらあなたへ書くことになる、と思った。この企画を目にした時、一番最初に思い浮かんだのは、あなたの存在であった。


わたしがここへ来たときに、あなたの存在を知ったのです。その言葉の選び方、抑揚、佇まいに、文字どおりの衝撃を受けました。眼差しの確かさ、という言い回しがあるのかどうか、しかしそのような、物事への距離のとり方、冷静な視点とその言葉に宿る情熱を感じました。

その尊敬の気持ちは今まで変らずにわたしの中にあります。これまでいくつもの世界で出会ってきた人のなかには、天井知らずの能力を持つ人が何人も居て、そういう人に限って人間的にも優れているので、世の中というのはなんて広いんだ、と思ったものですが、あなたの存在を知ったときは、それと同じ衝撃がありました。

わたしはその後、何人ものこころ豊かな方にお会いすることになり、この世界の広さに目を回すことになるのですが、その第一歩があなたであったことに感謝するのです。

どうもありがとう。


拝啓も前略もなく、あなたへ伝えたいことをただ表に出すとこのようなことになった。本当に手紙を出す、ということになれば、これを骨組みとして、堰を切ったような文面になる。

そうして実際にしたためることがあれば、わたしの手を離れた手紙が、ほんとうに相手の心に届くかどうかはわからない。届くかどうかの期待と不安と。


(ここまで1032文字)


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これは、水野うたさんの企画に参加させていただくものです。
今月はいろんなことがありすぎたので800字のものはちょっと無理かな〜と思いましたが、
滑り込みセーフ!(๑•̀ㅂ•́)و✧

例の感染症のおかげで、もしかしたら、わたし達は「思い」を伝える手段を拡張したんじゃないかと思ってるんです。伝えたいのに話せない。会えない。触れあえない。だからこそ、ことばを紡いで。

この文章を拝見して、挑戦してみたものです。
このようなご縁をいただきありがとうございます。



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