有機栽培の是非
カフェジリオを開業して16年目になるが、現在は「たまたま」有機栽培のコーヒー豆がラインナップに入っていない。
味とコストのバランスでラインナップを決めていった結果である。
有機栽培では、工場で簡単に(製造や精製ではなく)固定できる窒素を、豆類を栽培して土に鋤きこむことで補充したり、化学的に合成できるリンやカリウムを、わざわざ魚を捕ってきて抽出したりするのだから、当然コストが嵩む。
害虫や病気に対しても化学物質を使わないため人手がかかったり、他の生物の力を借りたりして生産能率が低いということも関係あるだろう。
またそれだけではなく、「有機栽培」であるという認定をもらうのに、各種団体にいろいろな名目の料金を払わなくてはならないのである。
コストのことも気になるが、有機栽培が通常の農業の何倍も環境にかける負担が大きい農法でもあることを、マット・リドレーの著作『繁栄』から学んだ。
本書の試算では、地球上のすべての農法を有機農法に切り替えると、ほどなく地球のすべての水産資源と森林資源を使い尽くしてしまうそうだ。
化学的なプロセスを使って固定した空気中の窒素を畑に鋤き込むのを拒否して、トロール網で捕らえた魚を砕いて鋤き込むのはよしとする有機農法の考え方にもある種の欺瞞を感じたりするが、物事にはいろんな側面がある。
一方で、レーチェル・カーソンの『沈黙の春』を読んだ時の衝撃も忘れられない。
この本が刊行された1962年には、まだ農薬による環境破壊は顕在化していなかった。
農薬に含まれる不適切な成分によって、昆虫の生態系が破壊され、それが巡り巡って我々の生活に大きな影響を与えていくことを啓蒙した、いわば予言の書とも言える本書を、僕は蜂の大量死が世の中を騒がせ始めていた2012年に読んだのだ。
その後も着実に『沈黙の春』の予言が現実のものになっていくのを見るのは、やはり恐ろしい体験だった。
マット・リドレーとレイチェル・カーソンの両論は、世界人口の急増による環境負荷と、地球生態系の保存のどちらをとるか、という難問であり、とてもではないが一介のコーヒー焙煎士の身に余る。
とりあえず判断は保留して、今まで通り味とコストのバランスで営業を進めさせていただくことをご容赦いただきたいと思う。