世界システム論講義
どうも、犬井です。
今回紹介する本は、川北稔先生の「世界システム論講義 ──ヨーロッパと近代世界」(2016)です。この本はイマニュエル・ウォーラーステインの「近代世界システム」を要約・解題した書となっています。
本書は、「一国史観」の歴史の見方を、根本的、徹底的に転換しようとする「世界システム」の考え方によって、近代以降の資本主義の発達史を統一した観点からコンパクトに概観しています。特に代表的な世界システムとして、「近代世界システム」は、「中核」と「周辺」から構成され、中核地域が周辺地域を搾取しつつ抗争を繰り返した結果、半世紀ほど持続するヘゲモニー国家が誕生するとされています。
それでは以下で、ヘゲモニーの変遷にとりわけ注目しながら、簡単にまとめていきたいと思います。
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なぜヨーロッパ「世界システム」になったのか
近代が生み出したとされる火薬や羅針盤や印刷術などは、ことごとくアジア、主に中国が発明したものであった。また、海外への探検や航海にしても、15世紀前半、延臣鄭和が7度にわたって「南海」を探検したことからもわかるように、中国の方が先に展開したとも言える。また、技術水準ばかりか、農業や製造業の生産力そのものも、おそらくアジアの方がヨーロッパより高かったと考えるべき理由はいくつもある。
とはいえ、結局のところ、近代世界システムは、コロンブスやガマの航海を前提として、ヨーロッパ主導のもとに成立した。その理由は、ヨーロッパのシステムと中華システムの、一つの決定的な違いによるものだと考えられる。
すなわち、前者は政治的統合を欠いた経済システムであったということである。
中華システムの「中核」は、明であれ、清であれ、ユーラシア大陸の東部一帯をひとまとめに支配する「帝国」であった。帝国は帝国内部での武力を独占し、武器の浸透や発展を阻止する傾向が強かった。一方で、西ヨーロッパは、帝国的統合を欠き、「国民国家の」寄せ集めに過ぎなかった。そのため、各国は「競って」武器や経済の開発を進めた。
このことが、16世紀における東西の武力の圧倒的な差となって現れたと見るべきである。中国が対外進出を控えて、「海禁」という鎖国政策に転じたことと、ヨーロッパが「大航海」に熱中して、「アメリカ」という巨大な資源供給地を得たことも、上記のことが深く関係していると思われる。
「ヘゲモニー国家」オランダ
17世紀の中頃のヨーロッパでは、農業でも、漁業でも、工業生産でもオランダが圧倒的に優越していた。その中心は、ライデン周辺の毛織物工業とアムステルダムに近いハーレムなどの造船業、マース河口の蒸留酒産業などであった。
生産面での他国に対する優越は、世界商業の支配権につながった。こうした世界商業の覇権は、たちまち、世界の金融業者における圧倒的優位をオランダにもたらし、アムステルダムは世界の金融市場となった。オランダの通貨が世界通貨となったのである。
のちのイギリスやアメリカの例でもわかるように、世界システムのヘゲモニーは、順次、生産から商業、さらに金融の側面に及び、それが崩壊するときも、この順に崩壊する。
また、圧倒的な経済力を誇るヘゲモニー国家は、自由貿易を主張する。この時代のオランダでは、有名な国際法学者グロティウスが「海岸自由」論を唱えた。圧倒的に強い経済力を誇る国家にとっては、自由貿易こそが、他の諸国を圧倒できる安上がりな方法なのである。
加えて、自由主義を標榜するヘゲモニー国家の首都は、実際に、世界中で最もリベラルな場所となる。そこには、故国を追われた政治的亡命者や芸術家が蝟集することにもなる。こうして、アムステルダムが、のちのロンドンやニューヨークと同じように、亡命インテリの活躍の場となり、画家をはじめ、芸術家の集まる町となったのも当然である。
イギリスの台頭
16世紀初め、イギリスは典型的な「低開発」の状況にあった。また、16世紀半ばから十七世紀の半ばは「価格革命」の世紀で、イギリスは物価が4〜5倍になった。この問題の前提として、
①アメリカ植民が失敗し、イギリスの国土はほぼ一定であった。
②農業生産性が大きく変化しなかった。
③基本的な食料も、あらゆる原材料も、木材を含む植物ないし牧草に依存する家畜に頼っていた。
の三つが挙げられる。特に最後は重要で、移動面も馬が主流であったことも考慮すれば、経済活動のほとんどが国土内の植物に依存していた。したがって、物価の上昇は人口増加による需要の上昇によるものだと考えられる。
上記の「十七世紀の危機」の打破のために、イギリスは植民地拡大を試みた。その結果、イギリスは十七世紀中期を転機として決定的に変化する。この変化は、R・デイヴィズにならって「イギリス商業革命」と呼ぶ。
「商業革命」の要素は三つ。
①貿易規模が、かつての低迷した状態とは対照的に、劇的な上昇を示した。
②ヨーロッパ・トルコのみならず、カリブ海・北アメリカ、東インドを中心としたアジア、奴隷貿易を展開したアフリカにまで貿易相手地域が拡大。
③こうした変化による、取引商品の多様化。
こうしてイギリスは世界システムの中核にのし上がった。また、ヨーロッパ最高率の徴税による潤沢な財政能力は、軍事費の早急な調達を可能とし、十七世紀のオランダとの3度の戦争で勝利を収めるに至った。加えて、十八世紀、金融面ではいまだヘゲモニー国家であったオランダからの資金流入は、フランスとの断続的な戦争を勝利に導いた。
近代世界システムの変化
一九世紀70年代以降、イギリスのヘゲモニーは衰退しはじめる。アメリカ合衆国とドイツが、近代世界システム内での地位を向上させ、新たなヘゲモニーを目指すことになったからである。
こうした、「中核」内の変化と並んで同時に、この頃、近代世界システムは全体として、決定的ともいえる歴史的変化を経験していた。近代世界システムが地球のほぼ全域を覆い、新たな「周辺国」を開拓する余地がなくなったのである。すなわち、「中華システム」や、「地中海システム」がなくなったのである。新たな拡大の場所がなくなったため、世界システムの作用の仕方が大きく変わっていった。
「ガスと電気」を主なエネルギー源とし、大規模な経営、大規模な生産組織を特徴とする「第二次産業革命」に、イギリスの「第一次産業革命」は、電車や自動車の時代には、容易に対応しきれなかった。やがてイギリスは短い「世界の工場」の時代から、「世界の銀行」となっていた。十七世紀の中葉にヘゲモニーを確立したオランダのように。
一九世紀末・二十世紀の初め、イギリスの衰退を受け、ドイツやアメリカ、フランスや日本まで、地球上最後の土地(=アジア・アフリカ・ラテンアメリカの植民地)の「周辺」化をめぐって、激しい抗争を繰り広げた。このように考えると、帝国主義とは、地球上の残された「周辺化」可能な地域をめぐる、中核諸国の争奪戦であったということができる。したがって、ほぼ全ての土地が近代世界システムに飲み込まれ、新たに「周辺化」できる土地がなくなった時、この争いは、ホットな戦争につながらざるをえなかったのである。
そしてこの局面は、同時にイギリスのヘゲモニーに代わる、新たなヘゲモニー国家の地位をめぐる争いの時期であった。その主役となったのは、ドイツとアメリカであった。2度の大戦を経て、新たなヘゲモニーを確立したのが、アメリカであったことは、いうまでもない。
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あとがき
世界システム論の話は有名ではあるのですが、ウォーラーステインの原著が4冊に及んでおり、なかなか手が伸びないでいました。そこで、原著をコンパクトにまとめた本書を手に取ってみたところ、平易で読みやすく、門外漢ながら大変楽しめました。
川北氏は、結びにて、新たに「周辺」を得ることができなくなった現代では、世界システムのあり方は変容を余儀なくされていると述べています。また、個人的には、現代と過去の違いとして、世界全体を覆った近代世界システム下での、ドルと金の兌換の停止が、特にシステムの変化に影響してくると考えています。かつてのヘゲモニー国家であったオランダやイギリスは、金融の中心も失ったけれども、上が理由で、アメリカも同じように金融の中心地を失うと考えづらいと思っています。もし仮に中国あるいは他の国家がヘゲモニー国家となるとしたら、アメリカに対して生産と商業で圧倒的な差をつけるか、自国通貨を金本位制にするなどして、ドルへの従属を断ち切る必要があるように思います(その場合、自由な財政金融政策を手放すことになります)。勿論、戦争による覇権国誕生の可能性もゼロではありませんが。
では。