長男の友達関係と、「幸せ」について(3)
友達に対する長男の気持ち
長男は、恐らく学習面での進み具合という意味では何歩か先を進んでいるものの、情緒という意味では年相応か、少し幼い部分もあると感じている。先日頭痛の検査のために取った脳波の波形結果では、成熟度合いがどうやら分かるようで、長男については年齢相応の成熟で特に未熟と思われるところはないと言われた。しかし、少なくとも学習面のように進んではいないのだろうから、一人の人間の中では凸凹になっているのだろうと思う。
それで、長男にとって、同級生と話が噛み合わない事それ自体は、今はそこまで大きな問題ではないのだと思う。他にもスポーツなど無理に合わせる形ではなく本人も楽しんで話せる共通の話題があるのだから、それでいいじゃないかと思っているのではないかと思う。別途、自分の好きなことを共有するのは塾だったり家庭、そしてカウンセリングでできるわけであって、別に友達とこれが共有できないからといって満たされないとは感じていないように見えるのだ。
長男にとって、友達は、話の合わないつまらない表面的に付き合う相手ではなく、本当に心から友達と思って接していると思うのだ。先日、あるお友達と揉めてしまって、長男が感情的になる出来事があった。それで周りは、なんでそんなに感情的になったのかと思ったのだが、その理由が何をやった・やられたではなく、「自分がずっと友達だと思っていた相手から手のひらを返されたと感じたから」と話してくれて、あぁこの子は心から友達と思っていたのだと、そう思うと少し心を動かされるものがあった。長男にとって、やはり友達は大事なものであるのだと思う。
その子とはお互い謝って今は仲良くやれているので問題はなさそうだ。ただ、ちょっとまた一つ学校でやらかした感は否めないだろう。
長男のすごいところ
これは親としての反省も込めてなのだが、過去に長男に、特定の子たちには近寄らないでくれと親が指示をしてしまったことがあった。長男が学校で問題を起こしたという連絡が絶えなくて、その都度一緒に名前が挙がる子たちがいて、近寄らなければもっと連絡も来なくなるのにという思考で言ってしまっていた。後ろめたい気持ちはあったものの、当時はもう親の心に余裕がなさすぎた。
それで最近はそんな指示はもう出していないのだが、朝の見送りで見ていると、当時寄るなと親が言っていた子にも「よっ」と声をかけて、気心の知れた仲間という感じで一緒に歩いている。長男に気づかされたというか、大人は色眼鏡で人を見るけれど、子供はそんな風には見ないのだなと。長男は自分は人から色眼鏡で見られていると感じていながらも、人のことをそういう目で見ない心が育ってくれたのかなと、ちょっと嬉しい気持ちがした。
長男は本当に鋭い。これが大人に対してとなると、もうその人の思考・行動パターンを瞬時に見抜いてしまう。素直に聞こうと思える相手には心を許す一方、権力で従わせようとする大人や、理由も説明せずにルールだからと言って強制してくる相手には、火に油を注ぐと分かっていても自分の意志を曲げない。絶対に長いものには巻かれない姿勢を貫く。
幸せな人生を生きて欲しい
長男にはこれからも人が好きであって欲しいと思う。そして、大切な人に囲まれていて欲しいと思う。Ted Talksで気に入っているTop3のTalkのうち1本が下記で、幸せがテーマになっている。75年間の追跡調査によって、人を幸福にするのは富や名声ではなく、人々との繋がりであることがわかったそうだ。さらにそれは数の多さではなく、本当に頼れる関係性が築けているかどうかが鍵なのだそうだ。長男だけでなく次男や長女にも伝えたいと思っている。
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