恥ずかしながら、こちらの素案の存在を知らなかった。大方出来上がっていて、後は実行するのみに映った。
特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する学校における指導・支援の在り方等に関する有識者会議 審議のまとめ(素案)(※PDF)
我が家は長男がギフテッドということでこのテーマには注目していたが、素案を読むと、次男や長女にも関係するし、もっと広く日本の教育とはどうあるべきかという事を問い直すきっかけになりそうだと思った。日本の学校教育の転換点と言えるかも知れない。
ポイントとして、文科省は以下の通り、全ての子供を対象にすると言っている。
議論の中では、「早修」と「拡充」のメリットとデメリットの整理や、下記の軸を設定して分析がされたようだ。
特異な才能のある児童生徒にみられる状況
p.9以降、特異な才能に関して、② 学習に関する状況、③ 学校生活に関する状況のヒアリング結果が掲載されている。これを文科省が把握していることは意義が大きい。
以下、教師との関わりについて、本当にどんな先生に当たるかで天と地ほどの差が出ることを経験している。「人」次第と言っても過言ではない。
長男が出会った二人の先生を比較すると、寄り添う先生の場合は、長男を見ていて授業が物足りないことにすぐ気づき、「教師としての力不足で」とまで言って、長男の知的好奇心に対応しきれていない現状を話してくださった。また多少授業の先取りができるような工夫もしてくださった。タブレットでは中学生用の問題も解けるようで、そういったものをやったとしても問題視されなかった。何より先生の理解があるおかげで、長男は安定していられ、友達とのトラブルも限りなくゼロに近づいたし、あったとしても些細なものになった。授業中に別のことをしているが、静かにしているので、クラスメートへの迷惑行為にもなっていない。
一方、長男がいることで困ることが沢山あると訴えた先生は、自分が進めたい通りに授業が進められないのだと言っていた。焦点は「自分」に当たっていた。その問題を親と共有すれば、親が先生の困り感を理解し、親が子供を先生のために指導して”改善”してくれると期待していた。我が家にとってこの先生と出会ったことのメリットがあったとすれば、それはWISCを受けるきっかけとなったことだけだった。
最後に、学校、習い事、何でも良いが、集団生活を成長過程で経験することは重要だと考えている。これはギフテッドについても当然ながら言えると思っている。その上で、下記のような考え方には賛同できた。
他にも、留意点として、先生の労働負荷問題、子供にラベルを貼ること、経済格差により生じる諸問題について書かれている。
本件、文部科学省に意見提出もできるようで、本日、8月15日(月曜日)23時59分が締め切りだ。