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必読:特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する学校における指導・支援の在り方等に関する有識者会議 審議のまとめ(素案)

恥ずかしながら、こちらの素案の存在を知らなかった。大方出来上がっていて、後は実行するのみに映った。

特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する学校における指導・支援の在り方等に関する有識者会議 審議のまとめ(素案)(※PDF)

我が家は長男がギフテッドということでこのテーマには注目していたが、素案を読むと、次男や長女にも関係するし、もっと広く日本の教育とはどうあるべきかという事を問い直すきっかけになりそうだと思った。日本の学校教育の転換点と言えるかも知れない。

ポイントとして、文科省は以下の通り、全ての子供を対象にすると言っている。

私たちの願いは、特異な才能のある児童生徒を含む全ての子供たちが、多様性を認め合い、高め合える包摂的な学校教育環境の中で、それぞれの資質・能力を伸ばしていくことができるようになるというものである。こうした「多様性を認め合う個別最適な学びと協働的な学びの一体的な充実」は、令和3年答申が目指す「令和の日本型学校教育」の姿とも一致している。

文部科学省

議論の中では、「早修」と「拡充」のメリットとデメリットの整理や、下記の軸を設定して分析がされたようだ。

先行的に取組が進められている諸外国の事例を基に、才能教育の最大の主体をどこに置いているかという視点から、「国家中心的」か「学習者中心的」かという軸を設定するとともに、教育機会の提供方法として特異な才能のある児童生徒を取り出して指導・支援を行う「取り出し型」か、それ以外の者を含めた教育機会の提供を行う「インクルーシブ型」かという軸を設定し、この二つの軸に沿って諸外国における取組の類型化が試みられた。

文部科学省

特異な才能のある児童生徒にみられる状況

p.9以降、特異な才能に関して、② 学習に関する状況、③ 学校生活に関する状況のヒアリング結果が掲載されている。これを文科省が把握していることは意義が大きい。

② 学習に関する状況

アンケート結果では、例えば、「教科書の内容は全て理解していたが、自分のレベルに合わせた勉強をすることができず、授業中は常に暇を持て余してた」、「発言をすると授業の雰囲気を壊してしまい、申し訳なく感じてしまうので、わからないふりをしたが、それも苦痛で、授業中に自分を見いだすことができなかった」、「学校で習っていない解法をテストなどで解答すると×にされることが嫌だった」、「書く速度の遅さと脳内の処理速度が釣り合わず、プリント学習にストレスを感じていた」などがみられた。また、授業がつまらないため登校しぶりに陥るなどの状況もみられた。

 このような状況を踏まえると、特異な才能のある児童生徒にとっては、教科によっては、学校の授業で学習する内容が既に知っていることばかりであったり、またその活用の場面が与えられなかったりしたことから、自らの資質・能力を伸ばすことができずに、必ずしも充実感のある学びの時間となっていない場合があると考えられる。

③ 学校生活に関する状況
特異な才能のある児童生徒は、言語能力や思考力など知的な側面が年齢に比べて著しく発達しているため、同級生との会話や友人関係の構築に困難を抱える場合がある。また、教師に対し、授業の進め方や自分への関わり方をめぐって疑問を抱く場合もある。他方で、知的な側面の発達と異なり、精神的な側面では年齢相応の発達であったり、発達の遅れが見られたりする場合もあり、自分の感情を抑えることができず、集団の中で、トラブルが起きたり孤立したりする場合がある。(以下省略)

さらに、上記②、③の結果、特異な才能のある児童生徒の中には不登校になったり、学校に通わない選択をしたりする場合がある。
特に、こうした子供たちは、いわばその才能による困難のために、特異な才能に応じた学習の機会が十分に得られていないこととなり、このような状況を解消していく必要がある

文部科学省

以下、教師との関わりについて、本当にどんな先生に当たるかで天と地ほどの差が出ることを経験している。「人」次第と言っても過言ではない。

長男が出会った二人の先生を比較すると、寄り添う先生の場合は、長男を見ていて授業が物足りないことにすぐ気づき、「教師としての力不足で」とまで言って、長男の知的好奇心に対応しきれていない現状を話してくださった。また多少授業の先取りができるような工夫もしてくださった。タブレットでは中学生用の問題も解けるようで、そういったものをやったとしても問題視されなかった。何より先生の理解があるおかげで、長男は安定していられ、友達とのトラブルも限りなくゼロに近づいたし、あったとしても些細なものになった。授業中に別のことをしているが、静かにしているので、クラスメートへの迷惑行為にもなっていない。

一方、長男がいることで困ることが沢山あると訴えた先生は、自分が進めたい通りに授業が進められないのだと言っていた。焦点は「自分」に当たっていた。その問題を親と共有すれば、親が先生の困り感を理解し、親が子供を先生のために指導して”改善”してくれると期待していた。我が家にとってこの先生と出会ったことのメリットがあったとすれば、それはWISCを受けるきっかけとなったことだけだった。

このように、現在でも特異な才能のある児童生徒への適切な支援を行っている教師・学校・教育委員会がいることが明らかとなったが、その一方で、こうした支援の取組が講じられるかどうかは、それぞれの教育委員会や学校の理解や体制に左右される側面があることに留意が必要である。

まずは、特異な才能のある児童生徒の特性やその支援等に取り組むことの必要性や効果的な方法等についての理解が進まなければ、その児童生徒に対する学校における適切な指導・支援や学校外における学びには結び付かない。(中略)教育行政に携わる者に対して、特異な才能のある児童生徒の特性等の理解を広めることは重要と捉えられる。特に、学校において児童生徒に直接関わる教師の理解が一層進んでいくことが期待される。

文部科学省

最後に、学校、習い事、何でも良いが、集団生活を成長過程で経験することは重要だと考えている。これはギフテッドについても当然ながら言えると思っている。その上で、下記のような考え方には賛同できた。

また、「個別最適な学び」が「孤立した学び」に陥らないよう、「協働的な学び」を充実することも重要であるとされている。

探究的な学習や体験活動等を通じ、多様な他者との「協働的な学び」を一体的に行うことによって、自分とは異なる感性や考え方に触れ刺激し合いながら、学びを深めていくということが全ての子供たちにとって不可欠である。

文部科学省

他にも、留意点として、先生の労働負荷問題、子供にラベルを貼ること、経済格差により生じる諸問題について書かれている。

本件、文部科学省に意見提出もできるようで、本日、8月15日(月曜日)23時59分が締め切りだ。