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大人は歩く

走る大人になりたい。

いや嘘だ。
別に走らなくてもいい、むしろ歩く大人になりたい。

歩くことに、なんら費用や用意や勇気はいらない。
(走ることに、も同じだけど)
つまり、いつでも誰でもどこからでも歩くことはできる。
足が不自由で、車椅子の人も誰かの力を借り、押してもらうことで歩ける。

だったら、できるだけ歩けばいいのに、と思う。

少し遠い店に行く時、都会だったら歩くのかもしれないけれど、田舎では車が中心だ。
もったいない、とさえ思う。

歩くチャンスをみすみす見逃している。
歩いている間、できることは結構ある。
例えばラジオを聞けばいい。
例えばビジネスの構想をねればいい。
例えば夕食の献立を考えればいい。
明日の朝食の献立を考えればいい。
ご馳走メニューの献立を考えればいい。

僕は決して献立ばかり考えているわけではない。

考える時間が現代人には必要なんじゃないだろうか。

あるいは、何も考えなくてもいい。
何も考えず、目的も決めず、歩いていれば体は疲れ、汗をかき、スニーカーはすり減り、雲は動いていく。

何も進んでいなくても、別に構わない。
そこに自分がいるということで、世界は成り立っている。
その一部になっている、と思える。

だから、僕は飲み会終わり、歩いて家に帰るんだよ。
そこから10キロぐらい歩くとしても、苦痛でもなんでもないんだよ。
覚えておいてくれ。

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