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先生が子どものころは、どんな考えだったの?

道徳の授業の最後に児童から飛んできた質問

 私は、少し間を置いて、答えました。
『3年生のころに、自分の命がどうとか考えたことあったかな?』
 すると間髪を容れずに、
『先生、道徳の授業ちゃんと受けてた?』
と息ぴったりで二人の児童が質問してきました。

だから、私は、今みんなと学んでいるのですよ

 不真面目な児童だった私が、昔の小学校の授業の思い出話をすると、当時の教育を批判しているようになってしまいます。なので、先に謝っておきます。当時は気づかなかっただけで、教師の使命感を持って、授業づくりをされていたのに、集中して授業に向かっていませんでした。本当にすいませんでした。
 道徳の授業といえば、NHKの『さわやか3組』『がんこちゃん』を見たという記憶しかありません。なので、まともな道徳心を持ち合わせることなく成長し、なんとか表面上を取り繕う技術を身につけ大人になったような気がします。なので、よくほころびが生じるのですね。
 そんな私が、少し力を入れて授業をしているのが、『道徳』です。

『脱黒板』の私が黒板を唯一使う教科『道徳』

 私は、2年前に「教師の仕事から板書を引き算したら仕事にかかる時間はどうなるのか?児童の数値化できる学力はどうなるのか?」という勝手に個人検証を始めました。今のところ仕事にかかる時間は、1ヶ月あたり約20時間、残業時間減少しています。児童の学力は、大きな変化はありません。黒板は、児童に開放しているので、『先生、黒板使いますよ‼︎』と言って、いろいろな教科で使っています。そこに私も気づいたことを書いたり、アドバイスを書き込んだりはしますが、授業のめあてや問題を書いたり、まとめの言葉を書いたりすることはありません。
 児童は、金曜日のそうじ時間には、黒板をきれいにしてくれます。金曜日の6校時は、道徳の時間だからです。黒板を使うということを全員が知っています。児童も、机を教室後方に寄せ、黒板をぐるっと囲むようにイスを並べてみんなの顔が見えるように座ります。『先生って、道徳好きですよね?なんかきちっとしてる感じがする。』と何人かに言われます。
 なぜかと言われると、私が今まさに道徳心を学んでいるからです。児童と同じ目線で物事を考えてみると、実生活で生きることがとても多いのです。不真面目で、学んでこなかった道徳心を、3年生と一緒に学んでいるのです。面白くてしょうがない‼︎

今回の授業は、D 生命の尊重でした。

授業前に立てた板書計画です。道徳のみ板書計画を立てています。

簡単な授業の流れ
① どうして命は大切なの?と問う。
② 教科書を読んで考えていく。
・火事で燃える建物に取り残された子どもを必死で探す消防士の気持ちを問う。
・自分の命を危険に晒してまで、人の命を救おうとする行動は、どんな気持ちから生まれるの?と問う。
③ 命を大切にするってどういうことなのかを深める。
④ 一つしかない命だから、どう生きる?と今日の授業で考えたことを個人個人でまとめる。その後、全体で意見交換の話ができればいいなー。

 授業を考えた当初は、上記のような感じでイメージしていました。
ですが、授業が近づくにつれて、どんどん自分の中での問いが湧いてきます。
授業構想の下の方に『命は大切だから、守るの? 懸けるの?』とメモしてあります。これが私の問いで、自分の中でも簡単に答えを出せないことだったのです。だから、授業の直前に、ある画像を児童に提示したくなったのです。
 その画像は、『命をかけて、何かにチャレンジしている人の様子』です。

命懸けのチャレンジで私が1番にイメージしたのは『登山』でした♪  ↑生成AI作

 実際に授業の冒頭で児童に提示したのは、車いす生活の人が命をかけてパラグライダーに挑戦するというYou Tubeのサムネイルっぽい感じでした。
 本当に授業が始まる直前に、立てた構想を変えてみたのです。

児童が命の大切さについてよく考えていることがよくわかりました。
だからこそ、反対っぽい考えを投げてみたくなりました。
Tは教師の私の言葉で、その他のアルファベットが児童の発言です。

どうして人は命をかけるの?

 児童は、すぐに反応しました。
『夢を叶えるためでしょ。』『自分がやりたいことに命をかけているんじゃない?』

『自分の命』と『自分の夢・やりたいこと・他人のために尽くそうとすること』を
天秤にかけるような板書をしてみました。

『誰かのために命を落とすって考えたら怖いし不安だよ。』という児童の発言で、ちょっとした沈黙が生まれました。夢が大事でしょ‼︎ やりたいことに命をかけるっていいことじゃん‼︎という雰囲気になりそうな時、私は、モヤモヤっとしていました。そのモヤモヤをうまく言語化しようとしていたところに、スパッと児童のつぶやきが私を救ってくれると共に、『本当にそうか?』という問いを投げてくれたのです。

児童の言葉をなんとか整理したいのですが、毎回見返しても、なんかごちゃっとしてしまう板書です。色分けもなんか意識しているようで、はっきりしません。スッキリしたいですね。

 そこで、教科書を読んでみようということで、範読をしました。
 主人公の消防士の気持ちを考えると、『使命感』や『不安』、『同じように人助けで怪我をしたり、命を落としてしまった先輩や仲間のためにも』というような意見が出てきました。どっちも大切だけど、人を助ける消防士という仕事に命をかけることが、主人公の生き方なんだ‼︎という感じになりました。

深まったのかどうかわからないけど、1番聞きたい問い‼︎

 ここで、1番聞きたい問いを児童に投げてみました。

ここが私の中で、明確に答えることができない部分です。それを児童と一緒に考えたかった。

多様な考えがどんどん飛んできます。
◯自分の命の安全をよく考えて生きたい。
◯自分の夢を叶えるために、一生懸命頑張りたい。
◯自分の夢を叶えて、その夢を叶えた後に人を助けるために生きていきたい。
◯自分一人の命で、多くの人を助けられるなら、自分の命をかけてもいいかも。
◯たくさんの夢とかやりたいこととか、いっぱい叶えるために頑張りたい。
◯夢を叶える経験をたくさん積み重ねていきたい。
◯人のために命をかけることができるって本当にすごいと思う。見習いたい。

それで、先生はどうなの?

『うーん。正直答えるのが難しい。簡単に答えを出せないかも。』
この言葉が来たときに、まだ上手く自分の考えを言うことができませんでした。
『でも、みんなの生き方の話を聞いていたら、その人のことを深く知れるなぁと思って、こうやって生き方の話をするっていいなって思った。』

➡️それ、質問の答えになってないじゃん‼︎
って何人かの児童からツッコミが来ました(笑)
そして、その後、この文章の冒頭で述べたように、問いが飛んできたのです。

先生が子どものころはどんな考えだったの?

 これだから、道徳の学習は面白い‼︎
どんな教科の学習でも、児童の発言や発想に驚かされることはあるのですが、とはいえ、知識量や物の見方・考え方、得てきた経験などのアドバンテージが生きるので、ある程度想定範囲内に落ち着きます。
 しかし、道徳に関しては違います。私自身の道徳心が広くもなく、深くもないので、アドバンテージどころか、完全に学ぶ側として、児童と授業をやっていく感じになります。授業構想なんて、はじめでどこかへ消えていってしまい、児童に考えさせたいことを本当に深く考えさせることができたかどうかなんて、考える余地もないほど、自分の頭の中が、今回の児童の話し合いや発言に支配されてしまいました。授業から2日程経ちました。答えは出ませんが、目の前の家族を眺めていたら、なんとなく自分の命の使い方、生き方がぼんやり見えてきた気がします。

授業後に記録しようと思って、簡単にまとめたものです。

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