見出し画像

ドラマ『御上先生』監修者から学ぶ主体性と当事者意識

生まれも育ちも沖縄県。現在も沖縄県で暮らしています。
 小学校教師10年目、6歳、4歳、2歳、0歳の4人の子どもを育てる父親です。

 育児での気づきを教育に生かし、学校現場での学びを育児につなげることをモットーに日々奮闘しています。教育と育児のリアルな経験をもとに考えたこと、何かヒントになるといいな〜と思うことをお届けします。

 今回のテーマは『ドラマ『御上先生』監修者から学ぶ主体性と当事者意識』です。

 みなさんはこのドラマを見ていますか?
 親として、小学校の先生として、どちらの立場から見ても、見始めてよかったなと思える内容だと私は感じています。
 毎回多くの教育課題が話の中で取り上げられます。知らなかったことも多くあります。
 改めて復習してきたサイトなどを載せておきます。

かなり前から言われていますよね。私自身は6年前に、当時の教頭先生に教えてもらい、意識した授業づくりを心がけるといいよ♪とアドバイスをもらいました。

https://career-ed-lab.mynavi.jp/career-column/707/

キャリア教育ラボ


『主体性』と『自主性』のちがい

 中でも私は『主体性』と『自主性』のちがいについて学ばせてもらいました。
 主体性とは、自らの意志や判断に基づいて行動することを意味するのに対し、
 自主性は、ある程度決められていることを自ら率先して行うことを意味します。

【主体性】
自らの意志や判断に基づいて行動すること
自らの責任のもとで行動すること
周囲の意見や指示などに頼らず、自身の判断によって行動を選択すること
自身の選択や行動によってもたらされる結果に責任を持つこと

【自主性】
他者に依存せず、自分で行動することができる性質
他からの干渉などを受けないで、自分で決定して事を行うさま
1つずつ指示を出さなくても、自分のやるべきことに気づき、行動できること

 似てはいますが、異なる点があります。それは、学校現場では顕著に現れるものだと思いました。
 学校では、授業時間や休み時間など、時間的な区切りがあります。その中で進んで時間を見てテキパキ行動する力などは、多くの場合、教師手動で指導されています。この行動力は、高められると自主性に近い感じになると思います。


では、次の場合はどうでしょう。

 Aさんは、3年生の理科の『物の重さ』の授業中に、粘土を電子てんびんにのせました。表示は『120.6 g』でした。
隣でみていたBさんは、

Bさん『1206グラムだー』

と言いました。

Aさん『違うよ。120.6グラムだよ。見て、ここに点があるじゃん』

と言いました。

Bさん『この点はなんなの?』

と言いました。

Aさん『なんだろう?でも、これを点って読むことはわかるよ。』

と言いました。2人の会話を聞いていた先生が、

『小数って言うんだよ。算数ではまだ習っていないね。3学期に学習する予定です。でも教科書に載っていますよ。』

と言いました。

するとAさんとBさんは、算数の教科書を開き、そのまま小数の学習を始めました。


自らの意思や判断に従って、理科の学習と算数を結びつける ー主体性ー

 その先生は教科書に載っていて、3学期に学ぶと言うことを伝えただけです。アシストしてはいるものの、進めたわけではありません。自分たちの意思で、責任を持って理科の学習から算数へ移ったと捉えることができます。ある程度少数への理解が進めば、本来学びたかった物の重さの学習に戻ってくるはずです。その時には、小数について理解し、パワーアップした自分になっているのです。
 このAさんとBさんは、主体性を持って学びに向かっていると捉えられるのではないでしょうか?
 さらに、自分のための学びだという当事者性を持っているのではないでしょうか? 自分の知的好奇心を満たすために、学校の授業内のルールを侵すという判断をしているとも捉えることができます。その時間は『理科』だったはずです。ルールとして明確になっているわけではありませんが、多くの学校では、『それは、また算数の時間に学んでいこうね』となると思います。場合によっては、『今は理科の学習中ですよ』と軽いお叱りを受けることもあるかもしれません。
 先生は、文部科学省が定めたカリキュラムに沿って作成された学校経営計画に則って教育活動をしなければなりません。そのため、そのルールや計画を蔑ろにするわけにはいけません。ですが、このお話の流れを考えると、物の重さの学びから小数の学びへつながるのは、ごくごく自然な流れだと感じます。そのほうが、児童にとって良い学びになるのではないかとも思います。

先生も主体性と当事者意識を持つ

 このお話の先生はその後、主体性を発揮して、AさんとBさんの活動を見守るという判断をしたとします。自らの判断で慣例通りの授業を逸脱したとも言えます。その責任を追求される可能性だってあります。でも、その先生は、自分のクラスで学ぶ児童だという当事者意識を持っているとも言えます。

 もちろん、度が過ぎる主体性を発揮された場合、先生としてある程度制御する必要はあると思います。かなり判断が難しいところであり、賛否も生まれるところだと思いますが、こうやって

草の根運動的な『リビルド』が、いずれ大きな波へと発展していく

のではないかと思います。

 私は、主体性と当事者意識について学べてよかったと思っています。もしかすると認識ちがいで的を射ていないかもしれませんが、きっと大筋は違っていないと思っています。もし、詳しい方がいれば、コメントで教えていただけると幸いです。

 かなり変革を求められている教育界です。私自身、様々な情報に踊らせられます。

それでも、学び続ける主体性を持ち、当事者として、課題解決に尽力したいと思います。

いいなと思ったら応援しよう!