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どうして勝手に決めたんですか?
生まれも育ちも沖縄県。現在も沖縄県で暮らしています。
小学校教師10年目、6歳、4歳、2歳、0歳の4人の子どもを育てる父親です。
育児での気づきを教育に生かし、学校現場での学びを育児につなげることをモットーに日々奮闘しています。教育と育児のリアルな経験をもとに考えたこと、何かヒントになるといいな〜と思うことをお届けします。
今回のテーマは『どうして勝手に決めたんですか?』です。
6年生に贈る会でメッセージをメインで伝えるクラスの代表の決め方について『異議あり!!!』
先日、6年生を贈る会に向けて、学年でプレゼントのダンスを練習して、お祝いのメッセージを確認しました。そのお祝いメッセージは、3クラスの代表1名が音頭を取り、みんなの思いを伝えるというスタイルになりました。これは、学年の先生とミーティングで決まりました。学年末ということ、小学3年生であること、諸々の事情を踏まえて、3年生と1から計画できるほどのゆとりと余力はありませんでした。
私が担任をしているクラスでは、何かの代表を決める際は、いつも子どもたちに委ねていました。これまで、自分たちでオーディションを開催する時もあったし、話し合いで他薦して決める時もありました。理由を聞いた上で、その人の普段の様子や、この代表活動に込めた思い、熱量などをみんなで聞き合って、納得する代表を決めてきていたのです。
(大人からするとたかがこの程度の代表…と思われる方もいるかもしれませんが、3年生の子どもたちにとっては、一世一代の大勝負!!的な感じで臨む子もいます。)
でも、今回は、私の中で頭に浮かんできた児童がいて、私が事前に決めようと思ったのです。その時は、特に異議なんて出ないような気がしていました。
学年で練習が始まる直前に、私は1人の児童に代表のメッセージを見せ、やってくれる?とお願いをしました。すると、他の児童たちが
『えっ?もう決まっているの?なんで?』
『私がやりたい‼︎』
『俺もやりたい♪』
とどんどん声を出してきました。
『私が決めたんだけど、何か言いたいことある?』
と聞き返すと、
どうして勝手に決めたんですか?
と言葉が返ってきました。さらに、続いて、
これまでいろんなことをクラスで話し合ってきたのに、それがくずれちゃうじゃないですか!!
ドキッとしました。
そしてグサっと刺さりました。
そりゃそうだ。
『私の中で明確な理由があるんですよ。あとで説明してもいいですか?』と声をかけると、みんななんとか気持ちを抑えたようで、その後の練習は、ニコニコ笑顔で取り組んでいました。
『勝手に決めてしまってごめん。』
これまで、多くのことをクラスに委ねてきました。
『あなたのクラスですよ。あなたはどうしたいんですか?』
『あなたのクラスのことですよ。真剣に考えてください。』
『あなたのクラスの代表ですよ。自分たちで考えてみてください。』
これまでの私なら、きっとそう言っていはずですが、頭に浮かんできたあの児童の笑顔を優先してしまったのです。反省しています。
練習が終わって、授業時間が残り10分程度あったので、みんなを教室の真ん中に集めました。自然とみんな円になり座ります。話し合うときは、みんなの顔が見渡せるように円になって座るのです。私は、代表に決めたAさんの隣に座りました。
私『勝手に決めてしまいました。すいません。理由を説明させてください。』
みんな『どうぞ。』
私『先生たちで大まかな流れの話をしている時に、私の頭の中に、Aさんの顔が浮かんだのです。6年生に贈る会なので、プレゼントでしょ? だから、6年生に笑ってほしいなって思ったのです。その時に、Aさんのいつもの顔が浮かんだのです。カメラを向けると、いつも思いっきり笑顔になるでしょ? ほら、この顔。』
と言って隣に視線を誘導しました。
すると、いつもの笑顔を作っているのです。
『わかるわかる。Aさんは、いつもその笑顔だよね。』
『俺もこの顔できるー。』
『私もできるー。みてみてー。』
みんな自由に笑顔でポーズを初めて、1・2分ほど、謎の変顔なのか、笑顔なのかをお互いで見せ合う時間になりました。
とても幸せを感じる時間でした。全員の顔をじっくり確認しましたが、1人残らず笑顔で楽しんでいると感じました。
1年間のハイライトを見た
この瞬間が、私にとっての1年間のハイライトのような気がしました。
自分たちで動こうとしない、受け身の学校生活が身につき、授業中に席を立とうとすれば、『授業中に席立たないよ。』とお互いで警察みたいなことをしていた4月を思い出しました。
何をするにも私の許可を求めていた初めの頃。
一つ指示を出したら、その後、次の指示が出るまで何も動こうとしない操り人形のようだったあの頃。
『〇〇のようにしようと思っています。いいですか?』と確認すると、はい以外の返事を知らないかのような無表情の返事をしていたあの頃。
(やや大袈裟に表現してみましたが、超指示待ち状態だったことは確かです。)
そこから比べると、
どうして勝手に決めたんですか?
これまでいろんなことをクラスで話し合ってきたのに、それがくずれちゃうじゃないですか!!
この二つの言葉が嬉しくて、嬉しくて、反省していたはずなのに、いつの間にか心は晴れやかになっていました。
子どもたちは、幼児期から持っていた、そして、失いかけていた『主体性』を取り戻しているのだと思いました。
この後、ひとしきりみんなで笑顔になった後、
『そういう理由なんだけど、Aさんに任せていいかな?』と尋ねると、
『いいよー★』
『じゃあ、このセリフの時は、こんな顔をしてよ♪』
『絶対6年生が喜んでくれる‼︎』
というような前向きな言葉がたくさん飛び交いました。
Aさん『お風呂の鏡で練習しようっと♪』
『そのシーンを想像したら超面白いよね♪』
『忘れないでちゃんとやってよ★』
Aさん『お母さんにもみてもらおうかな?』
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私は、公立小学校の教師をして10年目です。毎年、『教師っていいよなー』って思う出来事があるわけですが、今年度は特に『教師って特別だよなー』と思う出来事がたくさんありました。私は、『教える』から『学びのパートナー』になるべくして、様々なチャレンジをしています。どちらかというと教師っぽさがなくなってきています。元々教えるって楽しいなーと思いながら教師になりたいと思っていたはずが、いつの間にか、子どもたちのパートナーとして、時間を過ごすことに楽しみを感じています。今回の出来事は、特に楽しく感じました。子どもたちが、自分らしさを存分に出しながら、生活している様子がありました。その輪の中に自分もしっかり入っていたので、さらに楽しく感じました。