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3.サッカーにかける夢 - 子どもたちの情熱と支え

青森の冬は厳しい。白銀の世界が家族を包む中、志保の長男・拓海は、サッカーボールを片手に意気揚々と外に飛び出していく。「行ってきます!」その声に志保は手を止め、窓から彼の背中を見送った。


青森の強豪校で拓海は、夢への一歩を踏み出していた。サッカーが拓海の人生そのものになったのは、群馬で暮らしていた小学生のころ。小柄な体をものともせず、練習場の隅で一人黙々とボールを蹴る彼の姿を、志保は幾度となく目にしてきた。「もっと上手くなりたい」という拓海の言葉は、彼の本気を感じさせ、家族全員を引っ張る力となっていた。

青森への引っ越しを決めたのも、彼の可能性を信じてのことだった。しかし、新天地でのサッカー生活は想像以上に厳しかった。入部初日、拓海は練習の激しさに驚かされた。地元青森の子どもたちは、雪の中でも果敢に走り、ボールを追う。息が切れ、足が震えたが、拓海はその場で弱音を吐くわけにはいかなかった。

帰宅後、志保が作った夕飯の前で拓海はしばらく無言だった。「疲れた?」と聞くと、彼はうなずきながらも「大丈夫。もっと強くなりたいから」と答えた。その目は真っ直ぐだったが、母の目には小さな影が見えていた。

翌日から、志保は自分にできる限りのサポートをしようと決めた。お弁当に彼の好きな煮込みハンバーグを詰め込み、練習後に飲むためのスポーツドリンクを常備した。食事も栄養バランスを考え、彼の体力が少しでも持つよう工夫を重ねた。

家族も協力を惜しまなかった。次男の翔太は、兄を見て触発されたのか、家の庭で自主練を始めるようになった。幼い妹たちも、兄が試合に出ると「頑張って!」と大きな声で応援してくれる。家族が一丸となって、拓海の夢を支え始めたのだ。

学校のチームで拓海が初めて試合に出た日、志保と家族は揃って観客席に並んだ。冬の冷たい風が吹きすさぶ中、拓海は精一杯フィールドを駆け回っていた。しかし、相手チームの実力は圧倒的で、拓海のチームは防戦一方だった。試合終了の笛が鳴るころには、スコアは0対3。拓海は悔しさに肩を震わせながら、頭を下げてピッチを後にした。

その夜、拓海は食卓でポツリと「僕、やっぱり無理なのかな……」とつぶやいた。志保は、そんな息子の肩にそっと手を置いた。「拓海、無理じゃない。夢を叶えるのに、最初から簡単な道なんてないのよ。一歩ずつ進めばいいの。家族みんなで支えるからね」。彼女の言葉に、拓海は静かにうなずいた。

それからの日々、拓海は練習にさらに打ち込むようになった。毎朝早く起き、雪の中でランニングをし、夜は学校のグラウンドで自主練を重ねた。そんな彼の姿を見たチームメイトたちも刺激を受け、「一緒に練習しよう」と声をかけるようになった。少しずつだが、拓海はチームの一員として認められていった。

ある日、志保は拓海の部屋に入ると、机の上に一枚の手紙が置かれているのに気づいた。「お母さんへ」と書かれたその手紙には、「いつも支えてくれてありがとう。僕、必ず全国大会に出るから見ててね」と力強い文字で記されていた。志保はその場で涙をこらえきれなかった。

そして迎えた春の試合。拓海はついにスタメンとしてフィールドに立つことになった。観客席には志保をはじめ家族全員が詰めかけていた。試合開始の笛が鳴ると、拓海は果敢にボールを追い、チームメイトと連携を取りながら次々と攻撃を仕掛けた。その日、拓海のチームは3対1で見事勝利を収めた。拓海がアシストしたゴールには、会場中が沸き立ち、志保も声を張り上げて喜んだ。

試合後、拓海は満面の笑みで家族の元に駆け寄った。「ありがとう、みんなのおかげだよ」と笑う息子の姿に、志保は心から「引っ越してきてよかった」と思った。青森の空の下で、家族全員が一つの夢に向かって進むことができたのだ。

拓海の挑戦はまだ始まったばかり。けれど、彼を支える家族がいる限り、どんな困難も乗り越えられる。志保はそのことを、今日という日の勝利で確信したのだった。

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