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「行かない」んじゃなくて「行けない」んだよ、本当は。

年齢を経る毎にみんな、忘れてしまう。
自分が、昔、子どもだったことを。

なんとなく、今日は学校に行きたくないな、と
いう朝がある。
理由は特に、ない。
これといった原因があるわけじゃないのに、
今日は学校に行きたくない。
そんなときは、仮病を使って「ズル休み」、
をする。
親が学校に欠席の旨を伝える電話をかけている。
担任はまだ来ていないらしく、電話口に出た先生が伝言しておく、と告げる。
二階の自室からこっそり耳を澄ませて、
心の中では万歳三唱をしている自分。
やったー!
親は仕事に出かけて行く。
やったー!
家にひとり。天下だ。
やったー!
漫画読み放題、昼寝し放題。
やったー!
今頃みんな授業中、退屈な中、窮屈な椅子に縮こまって全然面白くもなんともない教師の講釈を
あくび堪えて耐えなければ。
だけど、今、わたしは、自由だー!!

そして、少女は大人になった。
ふたりの子どもの母親になった。
どちらの子どももやさしい性格で、
小学高学年のとき、仲良しグループ内の
スケープゴートになってしまった。
上の子どものときは、子どもたちの父親が
すぐに担任に話をしに学校に赴き、丸め込まれてしまった。そのときの教師曰く「僕に任せて下さい」とのことだったらしい。

それは表向きのことだった。いじめた側の子どもたちの親は土地の「顔」だった。
「地の人」。ここら辺でだけ顔が利く。
その子どもたちは大人の前では優等生を演じ切っていた。
上の子どもが語るには「君のことは味方したくない」と担任の教師に学級会で言われたそうだ。
先生がクラス全員の前でそう発言するということは、死刑宣告を受けたも同然なのですよ?
「学校に行きたくない。」と子どもは言った。
「うん、じゃあお休みするか?」

「学校に行きたくない」は、そのあと、10日間ぐらい、続いた。わたしは「学校は行きたくなかったら行かなくてもいいけど、勉強は学校行かんでも出来るやろ。勉強はしなさい。」と言って、
わたしが勉強を見てやった。あと、うちの子どもたちは大の読書好きだったので、図書館で本を借りてきて読書三昧、わたしと二人で市民プールに行ったり、ファーストフード店に行ったり、
親子で楽しく過ごせるように心がけた。
当時は不登校ではなくて登校拒否と呼ばれていたが、わたしには全く焦りを感じることはなかった。本人が行きたいと自分から言うまで、ずっと
行かなくてもいいと思っていた。
下の子が学校に行っている間、久しぶりにお母さんをひとり占め出来て嬉しそうだった。
そして自分から学校に行くと言って、傷ついた心はそのまま、人間不信になり思春期も重なって
すっごいこと反抗期に陰気くさくなり、親子バトルは毎晩けたたましくゴングが鳴らされ近所迷惑で有名となる。それも高校生になり、彼氏が出来てからは本来の明るさが戻ったかのように見えたが、やはり心のどこかにさみしさを纏っているようだった。現在はアラサーになり、海外生活も10
年になる。長らく会っていなくてさみしい。

下の子どもも同じような経験をした。
わたしの中学時代の恩師が我が子の通う小学校の教頭になっており、何度も話し合いに学校に行ったし、今回も犯人の子どもらは所謂地元の名士、
おじいさんが市会議員だとか、地主だとかで、
教頭いわく、「いじめた側の子どもらにも、親がいる」。
わたしは教育委員会に乗り込んでわめき散らした。そうしたら、わたしの実家に連絡があったそうで、ああゆうことをやめさせるようにと。
わたしが親の言うことなんて聞く訳ないやろ。
このときは離婚して父親はおらず、わたしは生活のためにうつ病なのを黙って仕事をしていた。
辛かったのは、子どもが学校に行かないことじゃない。ふだん仲良くしていたお友達に突然5人がかりで暴力を振るわれた。逃げられないように通学カバンを取り上げられた。体格のよい女の子に後ろから羽交い締めにされて、複数の女の子に代わる代わる殴られた。なにもわるいことしてないのに。どうして。いつも仲良く遊んでいたのに。
わたしが嫌いなの?喘息の発作で呼吸困難になる、小児科に心療内科への紹介状を渡されたわたしは、子どもに「どうする?」と訊いてみた。
答えは「行かない」だった。
「殴ってるときのお友達の顔が怖かった。怖かったの。」
3年生のときと5年生とメンバーは違えど同じことが二度あった。参観日の日、わたしは大きな紙に実名を書いて自分の子どもがされたことを廊下に貼り出した。すぐに教頭がすっ飛んできてベリベリと剥がしたあと、校舎の外に呼び出された。
「わたしはめんどくさい親ですか!?」
かつての恩師に言った。「ああ。もうこんなことはやめてくれ。」
うちの子に対してあったことの事実確認の話し合いの場を求めることをわたしは要求した。そしてその場にわたしも立ち会わせて欲しいと言った。
話し合いは行われることになったが、わたしの立ち会いは却下された。隣のクラスの女の子もイジメを受けていたが、その子の家は「地の名士」であったため、学級会に校長御自ら立ち会われたそうだと後日聞いた。
5対1で話し合い?先生、不公平やないですか?
わたしが立ち会えない理由はいじめをした子らの親も呼ばなくてはフェアじゃないと言う。来ればいいやん、その方たちも。ご自分の子どものことなんやから。お仕事されてるから来られないだと。わたしもお仕事されてますけど、自分の可愛い子どものためやったら、なんでもしますけど。優先順位第一番でしょう。
わたしは学級会が行われる日、勇気ある我が子にこう伝えた。「ごめんって言われたら、ごめんなんて言って欲しくない。どうしてあんなひどいことをわたしにしたのか理由を教えて欲しいと言い張るんやで。」そして、その子どもたちの返答は「あそびでやった」「軽い気持ちでやった」
で、あった。先生は呆れて「先生はずっと勘違いをしていました。いじめられるような嫌われるようなことをしたのだと思っていました。」
学校なんて、そんなもん。
だから、行きたくなかったら、行かんでよろしい。勉強はどこででも出来るから。
人間関係を学ぶのは、大人になってからでも
遅くはないから。子どものときは、自分の好きなことをみつけてキラキラした瞳でいて欲しい。
不登校のお子さんがいらっしゃる親御さん、
一番苦しんでいるのは、お子さんです。
本当は学校に行きたいんです。行きたいのに行けないから苦しいんです。
わたしは高校一年生の夏休み明けから学校に行かなくなりました。友達はいました。学校は楽しかったです。わたしの心が幼少期からの家庭環境によって破壊されていたのです。
退学することをわたしが決めたとき、話し合いに応じてくれた科学の教師は、わたしの母親に
「この子に逃げ場はありませんよ。」
と、言って下さった。問題児リストに自分の名前がファイリングされているのを目の当たりにしたのはいささかショックではあった。
余談だが、17才で大検の資格を取った。
一人暮らしで生活費稼ぐのにバイト漬けの毎日だったのにね。
自分の子どもを信じてあげてください。
下の子どもは芸大を出て、元気に働いています。



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