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ブッダ・心のことば ウダーナ第2章2 王の経  わかりやすい版

2 ムチャリンダの章

2.2 王の経(12)  
 
  世のなかの、あらゆる欲望、楽しみも
  天国にいけると信じる日々の楽しみも
  欲望のなくなった楽しみの
  十六分の一にもならない
 
あるとき、お釈迦様はサーヴァッティー(舎衛城)に住んでいた。
ジェータ林のアナータピンディカ長者の聖園(祇園精舎)で食事のあと、托鉢からもどり、奉仕堂に集まって弟子が、むだ話をしだした。
「マガダ国のセーニヤ・ビンビサーラ王とコーサラ国のパセーナディ王どちらの王が、財産や、蔵や、領土や、軍隊や、権力があるのか」
むだ話はだらだらと続いた。
お釈迦様は、夕方に瞑想から覚められて、奉仕堂で、弟子たちに語りかけました。
「騒がしいようだね、どんな話のために、集まって坐っているのですか。どんな話をしていたのですか。」
お釈迦様にことのしだいを申し上げた
「弟子たちよ、お悟り学校の生徒には、ふさわしくありませよ。あなたたちが集まったときには、二つの話がふさわしいのです。教えの話であるか、聖なる沈黙があるかです」

    ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
 
解 説
 仏教は、捨てる道を教えます。 仏教を実践したら楽しみがなくなってしまうと思うかもしれませんが、仏教の修行とは楽しみを得るためにあります、捨てられない人は執着するひとであり、苦しみを感じている人です。
 執着を捨てた人は、究極の楽しみを得ています。
 
 

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