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満洲の温泉へゆこう

2024年から連載のスタートした「満洲-お国を何百里-(南信州新聞)」は、日本人にとって忘れられない昭和20年8月8日の悲劇を描くものではない。あくまでもそれ以前の、大陸での生活や喜怒哀楽の日常を描くオムニバス作品である。

創作もあれば史実をなぞるエピソードもある。

今回は、ネタとして資料を集めたが結果として採用されなかったものを紹介する。日本人は温泉好きな民族だが、旧満洲のあった時代、ここにも温泉保養地が存在していたことを知る者は少ないのでは。

五龍背温泉は一説によると日清戦争中に日本陸軍第五師団歩兵第十一連隊兵站部が発見した温泉とされる。その後の日露戦争の療養所として開発され、戦後の行楽地と変化したものだ。旧満洲には大まかに三大温泉地があったとされる。

五龍背温泉(丹東市振安区)
熊岳城温泉(営口市鮁魚圏区)
湯崗子温泉(鞍山市千山区)

 今日でも日本の温泉地はインバウンド需要の要であるが、当時も同様の価値があった。ジャパン・ツーリスト・ビューロー大連支部が当時発行したガイドブック「満洲の温泉地」はすべて英語で記され、温泉の成分・湧出量といった基本情報のみならず、近隣の観光地・施設などの解説が写真とともに紹介されている。
 日本人以外の観光という狙いが面白い。勿論、温泉好きな日本人にも、満洲への理解を宣伝できる格好の広告塔になった。あの満洲でも温泉旅行が出来る。満蒙開拓団や企業進出に行楽、あらゆる層が抱く満洲への印象は、これら温泉保養地によって大きく変えられた。南満洲鉄道は日本人向けの「満州温泉案内(熊岳城温泉、湯崗子温泉、五龍背温泉)」を発行している。

 温泉の宣伝に一躍買ったのが、文豪と呼ばれる作家たち。旅行雑誌に名だたる作家が寄せる紀行文を一瞥したら、ちょいと旅に出たくなるのは今も同じこと。『満韓ところどころ』を執筆した夏目漱石が訪れたのは、日露戦争後の熊岳城温泉と湯崗子温泉。大正時代の紀行作家・田山花袋は著書『温泉めぐり』『満鮮の行楽』の中に満洲三大温泉を滞在した記述を載せている。そして昭和三年、与謝野寛・晶子夫妻が湯崗子温泉を訪れている。1920年代、満洲の温泉地には洋風の温泉ホテルも立ち並びリゾートの体を得たと考えられる。
 バブルの頃の日本の行楽地の風景は記憶にあるが、きっとあんな感じで、それらの先駆け状態だったのでしょう。

 旧満洲のかつての温泉地。
 現在も営業されている。2000年代になると日本風の温泉リゾート開発が中国でも活発になり、その際、旧満洲時代の温泉ホテルの多くは老朽化を理由に姿を消してしまった。
 古き近代は歴史の彼方に、である。

今回の作品から洩れたのが惜しい素材、満洲湯けむり物語。
夏目漱石を主役にして、出来たかも知れません。
まだ、間に合うかな?