里見家まぼろしの上州一万石とは
いつもX(旧Twitter)へリンクするので、上州勢もたまさかに夢酔の戯言を読み過ぎていただける。
今回は、喪中につき箕輪城まつりに赴けなかった鬱憤を、こんな形で晴らしたいと思います。次はいくぞ、ミノワーランドへ。
さて。
題記のことに注目。
上州板鼻は、現在の安中市。
ここに、なんと里見宗家から暖簾分けされた分家の所領一万石があった。里見義康の弟・里見讃岐守忠重です。
独立した大名だね。関ヶ原の功というのが、拝領の理由だ。
里見忠重がこの地を拝領する以前、ここは戦国の支城が置かれた地でした。
板鼻の西、碓氷川に面した急峻な丘陵に設けられた鷹ノ巣山城は、かつては箕輪城の長野業政を支える城でした。長野業政が対峙してきた敵は、武田信玄です。やがて長野業政が没し、機を見て箕輪城が陥落すると、この鷹ノ巣城も武田の支城に様変わりします。西上野の武田家臣団に、安中氏の名を見つけることが出来ます。
武田家は天正10年に滅び、西上野は滝川氏・北条氏・徳川氏と、その支配者を急速に変えていきます。
板鼻を直接支配した里見忠重の時代は、10年と満たない一瞬の出来事でした。それゆえ、多くの事蹟が残されておりません。
長傳寺というお寺がございます。里見忠重に関する文書が残されておりますが、直接資料は、たぶんこれくらいなのでしょうね。
里見忠重の城とされる場所は、現在、安中市老人福祉センター(いきいき長寿センター)に姿を変えていますが、往時のことは忘れ去られていることでしょう。
板鼻の付近には、上野国一社八幡八幡宮がございます。
最近、全国里見氏交流会で銅像を建てました。
新田源氏の里見氏高祖を称える偉業です。
群馬の皆様にも、これを機に板鼻に大名として里見氏がいたことを知っていただきたい。
里見忠重の大名統治は短かった。
大久保長安事件を機に、徳川家中の派閥争い。大久保閥に含まれる里見氏は、本多正純に狙われる立場。真っ先に口実で取り潰されたのが、板鼻の里見忠重。その後、里見本家が伯耆国倉吉へと飛ばされるのです。
板鼻を横切るSLの風景もオツなもの。
皆様も、歩いてみませんか?