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文永寺
昨日が、今日くらい天気が穏やかだったらと思う。
さて。
「御所車-知久太平記-」前半の核となる場所のひとつが、文永寺。
ただしくは真言宗智山派南原山文永寺という。
創建は文永元年(1264)、亀山天皇の勅願により信濃国伴野荘の地頭・知久信貞が京都の醍醐寺理性院の隆毫阿闍梨を開山として創建したとされる。鎌倉時代のことです。醍醐寺とのつながりは、このときからのもの。
本編冒頭から登場する醍醐寺高僧・巌助は実在の人物。記録が残され、下伊那へ渡ったことの記述をベースに、戦乱渦中と天竜川増水のことを知ることが出来そのまま作品に生かしました。
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当日は、販売促進会後の立ち寄り。雨が降っていて、車から降りられなかった。五輪塔は飯田市のソースにて。
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この知久の息吹が残る信濃の地で、往時のよすががあるとしたら「武田信玄狼煙リレー」。でも、これは厳密にいえば武田のよすが。
20年前は何もなかったのに、いま、東京青梅には三田氏の存在がクローズアップされてますよね。地元だけじゃなく武蔵村山や岩槻や高崎からも応援が来て、甲冑武者が往時を偲んでいる。
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知久の武者がこういう形ではないにしろ、地元や与力の力を借りて21世紀に復活することがあったら、とても嬉しい!
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いま次回作に気を揉むことは、お察しのほど~ (´;ω;`)ウゥゥ
2024年は神之峰落城470年目の節目。次の節目に武者行列とか、新行事とか、知久に関わる何か起きたら……きっと嬉しくて、夢酔は駆け付けてしまうと思うよ。
上久堅が難しければ、阿島だっていいんだ。どちらも知久家ゆかりの地なのだから。
期待しています。
勅願寺である文永寺。由緒の深さを歳月は静かに語りかけてくるようです。
神之峰落城のとき、逃れた知久頼氏が頼るべき先は、間違いなく京醍醐寺理性院の巌助のもと。作品の先々のため、巌助が冒頭に絡んでくる理由はあったのです。その高僧と世の中を知らぬ若造の頼氏。大人になるために必要な教導先達として欠かせぬ人物として、巌助は大きな役割を作中で果たしていくのです。
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「御所車-知久太平記-」。
Amazonだけじゃなく書店でも購入を。
南信州の皆さんは、販売促進会後に部数搬入されています。平安堂飯田店にぜひ赴いて下さい。
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