火の鳥にみる生と死と道徳と因果応報
皆様も一度は、一篇たりくらい、漫画やアニメやラジオドラマ朗読を問わず触れたことがある作品と思います。
火の鳥
手塚治虫の普及のライフワークとされ、西洋東洋の何かしらに触れることのある宗教観や、倫理観、人の業や性を剥き出しに、凶暴かつ繊細に訴えかける名作。一貫して、命について、問いており、回答を読者に委ねる深い作品のひとつである。
そして、舞台や時代や人物を一切リセットし、共通のキーワードである〈不死の象徴・火の鳥〉だけが軸となっていく連作。時には太古の人類、時には未来の文明、そのすべてが人間ゆえに迷い悩み犯した罪と贖罪の狭間でドラマを展開していく。
火の鳥は、手塚治虫の漫画家活動初期から晩年まで、節目節目で発表してきたライフワークとよべる作品。画風の劣化もなく、その安定した画力に凄まじささえ覚える。
作品は「黎明編」「エジプト編」「ギリシャ編」「ローマ編」「未来編」「ヤマト編」「宇宙編」「鳳凰編」「復活編」「羽衣編」「望郷編」「乱世編」「生命編」「異形編」「太陽編」とあり、どの順番で、どこから読み始めても成立する。「未来編」のラストは「黎明編」に回帰する構成になっており、作品自体が輪廻を無限に繰り返すような作りにもなっているのも、計算によるものだろう。
十人十色、好き好きもあると思うが、個人的に好きな一篇は「鳳凰編」だ。
火の鳥 鳳凰編
とは
物語は奈良時代。
主人公の一人・我王は誕生直後に片目と片腕を失っており、心に影を持ちながら殺戮と強奪を繰り返しながら生活していた。もう一人の主人公・茜丸は仏師。旅先で我王に利き腕を傷つけられ仏師としての生命の危機に追い込まれる。
その後、我王は速魚という女性と出会って愛を知るが些細な誤解から殺してしまう。しかし彼女の正体を知った時、激しい後悔に襲われることとなる。後悔の中、彷徨い続ける我王は僧・良弁と出会い、怒りを糧としながら仏師としての才能を開花させる。
茜丸もまた負傷して以来、彼を慕う少女ブチとの出会い、仏師としての栄達などを経て少しずつその心と運命が変化していく。
生まれながらに苦しみ続けるが、その中で次第に悟りを得ていく我王。
権力の庇護を得て慢心し堕落していく茜丸。
その対比がストーリーを追うごとに浮き彫りにされていく。
東大寺の大仏建立にまつわる政治。仏教は政治のためにある。そのことを、恩師である良弁の即身成仏で思い知らされる我王。
利き腕を奪われ、精進して認められていく茜丸。一世一代の鳳凰の像を彫りたいという妄執。
やがて、運命は野の名人仏師・我王と都の天才クリエーター・茜丸による、東大寺の鬼瓦制作対決に発展する。
結果は、我王の圧倒的な勝利。
しかし、茜丸は敗北を認めず、我王の過去の罪を明かす。
両腕を失い、野に捨てられる我王。
しかし自然や命の摂理に気付き、儚さや美しさを悟るその後の生涯は、決して希望的でなくとも清々しいものを感じられる。
片や出世や権威に堕ちていく茜丸。火災に巻き込まれその命の終わりを悟り輪廻を願うが……。
リ・インカネーション。輪廻転生。ここにもうひとつ、因果応報という大きな人間の業が加わる。異世界転生などと生ぬるい事なく厳しい現実を叩きつける手塚哲学は、厳しい!
その後の我王にも……。
鳳凰編は両手を失う我王に、茜丸知己のブチが訪れて大団円となる。
一己の宗教観を錯覚させて、物語は終わるのである。
我王は、山の奥で生きた。
生きて、生きて、何百年。
平安時代末期まで生き続けた。
そも、我王の一族もしくは魂は、初期から最後まで一貫して「業深き象徴」として、おおよその火の鳥という作品に登場する。
猿田彦として。
ここも注目すべき、人の欲と恐ろしさと純粋さだろう。
火の鳥から学べることは多いのに、人は生かせることが難しいのか。そう考える意味では、哲学書なのかもしれない。