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石垣山一夜城etc

たしかに、小田原城は拡げた手の内にある。
ここで連れションの是非はさておき、古今東西、小田原征伐を題材とする文筆物は多い。私も里見正史を描いた「夏の波濤」という作品で、このことに振り回される里見義康を扱った。

これをして小田原北条氏を愚かと結論付けるモノは多い。

が。

敗けた存在が天晴れだった事例こそ少ないのであり、鵜呑みには出来ませんね。この籠城策は、織田信長がガチで怯えた戦国最強の武将、
上杉謙信 と 武田信玄 にも効果的だった作戦。
籠城は非力な輩の策と、日本人というのはどうも刷り込まれているが、これだって必勝の策なのです。

籠城戦の戦力比は攻め手が守り手の3倍という鉄則がある。

まあ、豊臣秀吉はこれをクリヤーした。あとは兵站だ。大東亜戦争で日本軍指揮官が過小評価した生命線です。
大軍であれば兵糧の消費も大きい。経済的負担も馬鹿にならぬ。
これも、東国武士の思惟を遥かに超えた秀吉の財政力が勝った。それだけのことだった。セオリー通りにやれば、九戸城の攻防戦みたいな展開が正解になるのです。

敗けたから愚かという評価は、万事においてもいえること。

日本は先の大戦に負けてからおよそ80年。
WGPIの抜群な洗脳効果だけではない卑屈な戦後を生きてきた。少しはひい爺さん・ひいひい爺さんの世代を思いやったらどうだろう。なぜ、戦争しなければいけなかったのだろうか。
似ている火種は、いまの時代こそ転がっている。
「戦いたくて戦う独裁者はテレビの中にいる」
戦わなければ食糧も燃料も外から入ってこない国の民間人もいる。日本はこちらに近い状況。だれが総理をやったって、ああいう無様しか演じられないのが現実です。


北条五代(早雲寺)

敗けた側にこそ、創作のヒントは眠っているのではないでしょうか。