武田家は三度滅ぶ
甲斐のことばかりで、すみません。
かかる年末。例のブラック会社に〇〇をたたきつけたので、1月からの職探しも重なってフラフラ。ネタは過去の足取りから拾うしかないもので、あしからず。
鎌倉幕府将軍になった源頼朝にとって、取って代わる可能性のある源氏は粛清対象。甲斐源氏も多くがこのときに消された。一番若い信光は頼朝に手懐けられたことで生き延びて、血を残した。
ある意味、これが第一の滅亡。
天目山は、山号。この名前の山は存在していません。誤解が多い名称です。
上杉禅秀はすぐれた関東管領。当時の鎌倉公方足利持氏は色々と問題のある人物で、結局、決裂し対立せざるを得なかった。武田信満は舅の立場で禅秀を支持。しかし禅秀も与力も破れ勝ち残ったのは信満のみ。多勢に無勢、滅亡は仕方のないことだった。
このくだりはアルファポリス公開作品「信長伝」をご参照ください。
武田家二度目の滅亡。
「天目山の戦い」とか「天目山に散る」とか云われるけど、田野のこの地は田野であり、天目山じゃありません。
三度目の滅亡が、有名なものですね。
大久保長安事件により武田信玄嫡孫・顕了は徳川幕府による流罪となった。顕了は大島の土となり、その子・教了は徳川家光十三回忌恩赦で江戸へ戻るが後期高齢者。旗本・内藤忠興の娘をして信興を得て血脈を保つ。ある意味、地味な4度目の滅亡危機ともいえよう。
なお、旗本・内藤忠興の娘の生母は、小山田信茂養女(外孫)・香具姫である。小山田家の血脈が武田宗家を救ったことを差し置き、いまなお、小山田家は裏切り者だと叫んでいる者が多いことは嘆かわしい。大河ドラマ「真田丸」で温水さんにそういう芝居を要求したとしたら、NHKはもっと勉強しなきゃ駄目だよね。