看護師の自分を振り返ってみた④正社員を手放すまでの話
この看護師の私の振り返りシリーズそろそろゴールが見えてきた。
今回は、内容はnote初投稿の記事と少し被っているけど、正社員を手放すまでの思考をより深掘りして綴っています。
ライスワークとして割り切った時期
異動したあと、環境に慣れた頃は
ちょうど結婚前後。
結婚後は妊活最優先。
転職なんか考えもせずいつの間にか、
必死でお金を稼ぐ看護師まっしぐら。
なかなか子どもを授からず、
不妊治療をすることに。
治療すれば、すぐに妊娠できるだろう
本気でそう思っていた。
でも、なかなかそうもいかず。
出口の見えない暗闇のトンネルをさまよう
まさにこの感じ。
部署が結婚ラッシュだったので、
おのずと妊娠予備軍が増える。
焦る気持ちとは裏腹に
産休に入る後輩をどんどん見送りながら、
おめでたいことなのに、
心からおめでとうって言えない自分に落ち込む。
不妊治療と仕事の両立が難しい話はよく聞くけど、その時の上司がものすごく理解があった。
振り切っていいよっていうくらい
勤務の調整とか嫌な顔ひとつもせずしてくれてた。
あの時の師長さんが上司でなければ、
夜勤ありのフルタイムの仕事と不規則な通院の両立はできなかったなぁ。
不妊治療開始して、2年くらいで娘を妊娠。
妊娠後はすこぶる元気な妊婦だった。
周りの方が気を使ってくれる
有り難すぎる環境のなか
産休まで元気に働くことができた。
育休明けまして…
1年半の育休明け
復帰後、2日目にして
母にお迎えに行ってもらうという
時短勤務なんて皆無に等しい
激務の病棟に復帰となってしまった。
復帰したのが12月
日照時間が短いこの時期
少し早めに帰れてもお迎えの時間は真っ暗。
それがまた更にセンチメンタルな気持ちを助長させる。
私のように時短勤務の人が帰れず、
やむ無く異動したらしく、その後釜だった。
とりあえず的な
穴埋めパズルのような
人事配置にすごくモヤモヤした。
ほんま、組織のコマやなと痛感。
悲惨な数ヶ月を過ごしたのち、
幸いにも育休前の部署に戻れたことで
平和な時短勤務で働いていた。
組織に所属することについて考える
私はあんまり何かに特化した看護師ではなく、
部署や年代に応じた役割はやりますというタイプ。
多分、上司的には使いやすい方に分類されていたじゃないかと思う。
この辺りは今年見てもらった
ホロスコープ的にもドンピシャで腑に落ちた。
いわゆるベテランと言われる年代になってくると、看護師としてどういうことを目指していくのか、
専門的な道に進むのか、管理職に進むのか…。
その時チラついていたのは、いつかは在宅看護がしたいってこと。
でも、子育て真っ只中
転職は考えられない。
現状維持はだめ?
仕事は嫌いじゃないのに、
わざわざそんな選択をしないといけないことが
ストレスになってきた。
妊娠するまでは、それを理由にスルーできた。
子どもが小さいうちも理由にできるけど、
そのうちそれも通用しない近い未来が見えていた。
仕事を真面目にして、お給料もらうことがそんなに悪いのかとさえ思えてくる。
組織に所属して、働くとはそういうものなのかとも思う。
私には出世願望はないけど
平のスタッフのまま、
この夜勤のある生活を定年まで続けるのか?
それを考えたら心がザワザワした。
天秤にかけた結果
お金にゆとりがあっても、
心と体にゆとりがないってどうなのか。
夜勤前の夜11時半ごろに起きることが
最大のストレスだった。
このまま朝まで眠りたいのに、
起きなければならないあの瞬間。
寿命を縮めている実感さえあった。
あの時だけは、夫も気の毒そうに私を見て、
仕事に行くのを見送ってくれた。
私たち夫婦のリフレッシュ方法は、
お互いの1人時間を持つこと。
私は平日の休みや夜勤前に
そういう時間を比較的持てていた。
逆に私の土日休みが少ないと
夫のリフレッシュする時間が
明らかに減っていたこともうすうす気付いていた。
繊細さんな娘のためにも、
夜勤のない生活をした方がきっといいし、
何より私が夜勤から抜け出したかった。
色々天秤にかけた結果、
40歳になる前、
年齢的にもキリがいい。
正社員を手放すと決めて、
2023年4月に晴れてパートになった。