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やりたいのかどうか、必要なのかどうか。
やりたいことをやっていけるようにと考えると、時間の使い方を見直す必要があった。
時間の使い方というより、生活のしかたかもしれない。
もしくは考え方を変えるということ。
後回しにしたりやめたりしたいのは、しょっちゅう時間を取られている、特に意味もないようなことをしている細切れの時間。
時間つぶしや、ほんのちょっとの隙間時間や、何かする前に気持ちが乗るまでだらだらしているときの時間。
それはそれで減らしたりやめたりしていくとして、ほかに何か減らせる時間はあるだろうかと考えてみたときに、浮かんできたいくつかのシーンがある。
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浮かんできたのは、人と話している時間。
安易な言い方をすると、対話する時間が好き。
何か特にこれを話したいとか聞きたいというのではないのだけど、普段話さないこととか、普段話さないような深いところまで、話したり聞いたりできるのは楽しい。
自分とは全然違う考え方とか感じ方とかを知るのも好きだし、人の話を聞いて自分も考えたり話してみたくなる感じも好き。
何を話してもいい、話さなくてもいい、そういう自由な状態でいられるのが好き。
そういうのが好きで、そういう中で例えば企画とかディスカッションできたりするのも好きで、一時期そこにすごく時間を使っていたのだけど、だから逆に、減らせるかどうか考えたときにその時間が浮かんだことに自分で驚きもした。
でもそれは、リアルで話すときとオンラインになっての物足りなさとの違いで重要度が違うようにも思うし、話す相手にもよるし、全部なくなっていいという気はしない。
それでも、対話するってある程度まとまった時間が必要なのは確かだし、前ほど積極的に時間使いたいかも疑問。
どうしたいのか、どうするのがいいか迷うところ。
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自分がほんとにやりたいことと、その時間と、どっちが大事か?というと、やりたいことだと思う。
仕事とどっち?と考えても仕事だとも思う。
その時間がなかったとしても、生きるのにもやりたいことやるのにも何も困らない。
だからといって、なくていいのかというと違う気がする。
それは、コロナ禍での不要不急とされたものたちと似たようなカテゴリなのではないかと思う。
どうしても必要ではないけど、あったらいいもの。嬉しかったり豊かな気分になるもの。
いつも必要ではないけど、ときどきほしくなるもの。
(それでも、対話の場なり、対話まででなくても話をする場の中でも、いたいところとそこまででもないところとあまりなくていいなっていうところはある。)
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当たり前ではあるけども、何かの優先順位をあげたら、ほかのものの優先順位は下がる。
だから優先順位見直してやっていくのが大事だとは思う。
だけど、優先順位だけでは決められない部分もあるし、そういうところは不要なようで必要なのではないかとも思う。
そのあたりはもう少し考えてみたいところ。