そこそこ読書 本の虫 ミミズクくん2 カラシユニコ 作

 そこそこ読書初めての漫画である。漫画は簡単に読んだ気になれるから楽である。前後の関係性は読んでいく中で薄れているのにも関わらずである。本に気なって考察をすると終わりがないのかもしれないが。
 
 さて、この本はミミズクくんと呼ばれる本が好きな小学生の物語である。章のタイトルがさまざまな本の題名になっており、エピソードに本の内容の一部が添えられているのが特徴だ。

 「戦争は女の顔をしていない」と「火花」について書かれていた。「戦争は女の顔をしていない」は戦争に行った女性の経験をまとめたものであり私も読んだことがある。「火花」は売れる芸人と売れない芸人のさまざま葛藤を書いた本であるらしく、知っている人も多いと思うが私は読んだことが無い。

 これらが連続している事に大きな異質さを感じた。火花は所詮自分がやりたいことをやっているに過ぎない。芸人という特殊な評価をされる場所で、降りかかる不幸や葛藤はすべて想定の範疇に過ぎないのではないか。自分で臨んだ生き方に必死になっている人が、理不尽に打ちのめされていたとしてもそれが強制でもなく人生として選択できるという事実の前にはかすんで見えてしまう。
 
 そう感じたのも戦争を取り扱ったテーマが同列にならんでおり無意識的に比較してしまうからだろう。戦争は民間人にとっては理不尽であり、時には志願兵として赴く事があっても、後遺症、暴力、死が待っている事は、直接的な生と死に関わる。さらに権力者に振り回されると言う点を考えても、同列に語ることは出来ない。

 そういった意味で私達は本を読む時に同じ世界に生きてはいない。「火花」に感動できるとき、「戦争は女の顔をしていない」の事はひとまず忘れてしまわないといけないのである。そうでなければ、芸人など嫌なら辞めろ、それしか道がないと思っているなら勘違いである、と結論づける事が可能になってしまうからだ。

 そう、別な世界で生きている。より過酷な世界の前に、現代の過酷な世界はましにならざるを得ない。

 同時にその事実はあまり意味をなさないかもしれない。戦争の話は「火花」の登場人物にとっては慰めにも救いにもならないだろう。極端な言葉で表現すれば「戦争するよりはましな時代を生きている」と言われて、どれくらいの人は納得するのか。事実かも知れないが、人は事実だけで生きてはいない。事実が感情に浸透するにはそのほか様々な要素が必要になる。
 
 私は本からいろいろな世界を知って現実で使い分けることが出来る。夢に苦しむ人に戦争の悲惨さを持ち出す事もしなくて良いし、戦争の体験をそのものとして受け止めるだけでも良いのかもしれない。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?