光草 ストラリスコ ロベルト・ビウミーニ 作 長野徹 訳
ある日、絵描きのところに特別な依頼がもちかけられる。生まれつき持った病気のせいで外に出ることが出来ない息子の為に絵を描いてほしいというものだ。絵描きと病気の子どもとその父親の交流を描いた児童文学である。
外の世界を絵本の挿絵でしか知らない子供にとって絵描きの存在は大きなものになっていくが、絵描き自身にとってもその中での体験はかけがえのないものになっていく。
絵描きと子供は相談して部屋の壁一面に絵を描くことに決める。そして物語を作ったり想像しながら描くものを決めていく。
題名にあるストラリスコとは子供が自分の中で想像した花であり、自分で描いていく。だが、壁に描き続ける絵はいずれ場所がなくなり、時間が止まったままである。そこで一度書いたものの上からさらに別な物語を繋いでいく。
創造するとはどういった事か、詩が生まれる瞬間とはどういった時なのか、そういった事に対して答えは無数のあるのだろうが、その一つが物語の中で示されている
創造の始まりはまさしく想像する事だ。何も書かれていなかった壁に何を描くのか決める時、絵描きと子供は二人で遊びながら、話をしながら決めていった。海賊船を描こうと決めたきっかけは、ただひとつの点のような跡だ。それが遠くにいる点のようにしか見えない船ではないかと子供の想像からだった。
詩が生まれる瞬間というのは、その人の体験と解釈から生まれるものだ。植物が葉や花を伸ばしている姿を天に向かって根を伸ばしていると子供は表現するシーンがある。常識的には植物は地に根を伸ばし茎や花を伸ばす。
この時子供の病気が進行しており、自分の死が近い事をどこかで悟っているからであろう。全てが一体となっている感覚がそのような発想につながったのではないか。
全体的に優しい雰囲気を感じる物語である。それは登場人物の性格や出来事もあるのだろうが、それだけではない気がしている。使われている文字に柔らかさを感じる。語り掛けの形がその効果を引き出しているのではないかと予想している。そのなかで登場人物の共感、発見、信頼が途切れることが無い。
仕事を終えた絵描きは、それ以降の絵の仕事を断り漁師になって暮らす事になる。これは子供との交流が彼の人生観を変えてしまったという事だ。子供の想像と一緒に絵を描くのは絵描きにとってもかけがえのない体験であった。
想像は絵の上にさらに新しい絵を繋いでいく事になる。この体験は、一枚で完結するこれまでの絵かきになかったものだろう。子供の想像する連続した世界の変化や物語を絵を通して表現する事になり、最終的には生と死や世界の循環まで体験する事になった。
おそらく、絵描きは生涯最高の作品をつくってしまった為に、これまでの依頼を受けることが出来なくなってしまったのだろう。どこか嘘のように感じられるのではないだろうか。連続した世界のつながりを感じるには、自然に触れて生きるのは農家か漁師だろう。