和田裕美「タカラモノ」を読んだ感想文

 久々に小説を読んで面白いと感じた。
 物語の概要は、自由奔放に生きる母を持つ娘、ほのみの物語である。小学生、思春期、大学生、社会人の各時代でほのみは様々な理不尽な目にあいながらも母の言葉で一つ一つ乗り越えていく。

 作品を通して気に入ったのはぶち当たる壁が綺麗ごとだけではないという事だ。ほのみは運動会でビリになったり、自分の体形に悩んだり、上司のいびりや仕事に対しての悩みにぶつかる。そのたびに「ママ」から教訓と元気をもらって乗り越えていくが、彼女のぶち当たる壁はそれだけではない。

 時に男をお金で選び、浮気をして捨てられる。自業自得な部分もあり、この一種の愚かさが綺麗ごとではなく、私が非常に気に入っている。というか作中でママ自身が他所の男に走り、家庭を捨てるのである。
 そこでのやり取りは一言で「不徳」で片付いてしまうものなのかもしれない。しかし、長々と講釈を垂れるのではなく、周りに振り回される人の思いや葛藤を荒々しく見ることによって、ママを身近に感じる。そして教訓はただの説教ではなくなる。

 ここで道徳を説くだけでは伝わらない事があるのだと気づかされる。分かっているけど出来ない事、望んでいても失敗する事、つまりは自分の弱さを見つめて受け入れそして努力をする事の大切さを教えてくれる。

 どんな時でもママはほのみを否定しない。ママの教訓自体はどこかで聞いたことがある話ばかりだ。革新的なものではない。しかし、ママ生き方や人生に触れるなかでほのみは成長し、いつもママがいるのだと実感する。

 個人的にはこれまで理解できなかった「ご飯は男が驕るべき」「自分の中で生き続ける」といった事の主張するところが理解できたのも大きい。
 それ自体には今でも否定的な考えであるが、なぜそういう人がいるのか、というところに一応の正当性や意図があるというのが分かった。
 
 最終的にはやはりどんな人がどんな思いでその言葉を使っているかという話であるが。

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