わたしストーリー❸

こんにちは

姿勢改善専門サロン
歩歩〜niho〜
のいくえです

またまた
共感したよ!
の声を頂き本当に
嬉しい限りです
貴重な時間を作って読んで
頂きありがとうございます


さて
今日もわたしストーリー❸
書いていきます


これまで
学生時代〜社会人までの
"イジメ"についてでしたね

そして
人生最大のトラウマを
今回書いていきます

その前に少し…
人って
人生歩んでいくと
同じような"壁"
にぶつかることに気づいたんです
それって
それを自分で向き合って
自分で乗り越えてね
という"お試し"らしいんです

まさに
それを放置していたからか
ここでデカいのがドカン!
と来たんだろうなと
今では思います


この話
やっと泣かずに
話せるようになりました
そのくらい私にとっては
辛かったわ〜な
ことでした

時は経て
29歳で結婚し31歳で長女を産みました
それまでは実家のある鹿児島で
生活していました


しかし長女が産まれて半年の頃
主人に転勤の話がやってきました

生まれてこの方
鹿児島から出て生活はほぼほぼ
したことがなかったので
ついにきてしまった…
と言う感覚でした
県外で暮らすなんて
想像が全くできなかったくらいです

そんな風に思った
2ヶ月後にはもう
岡山へ引っ越しをしていました


初めての子育て中に
初めての転勤
初めての九州以外の
県外生活…

地元では
毎日支援センターか
友達か家族と会って
育休を楽しんでいたのに
急にひとりぼっち
そして右も左も分からない土地

もう寂しくて寂しくてどうにか
なりそうでした…
でもその気持ちをまた
私は
なぜか押さえて押さえて
どうにか感じないように
無意識にしていたところがありました

そんな時に
支援センターで出会ったAさん
転勤族仲間だね
と声をかけてくれたのです
もう女神にしか見えなかった〜
めちゃくちゃ嬉しかったのを思い出します

そんなある日に
支援センターでまたAさんに会えて
嬉しいなもっと仲良くなれる!
と私は前のめりになっていました
ただこの日はAさんの子どもさん
が産まれた時から繋がっている
ママ友の
BさんCさんも一緒にいました

そこでお弁当をみんなで食べようと
Aさんが誘ってくれて
4組で食べ始めました
最初は和やかにみんなで
わいわい話しながら食べていたように
感じたんですが

段々と私が入れない話題を
BさんCさんだけで話し始めました

この時の私は
ちょっと傷つくことを言われたら
すぐ泣けるくらい
メンタル的にギリギリ状態でした


そして
BさんCさんは食べ終わると
何言わず
そそくさと
その場を立ち去り
私達の存在はなかったような
扱いをされたのです

あっ
この感じあれじゃん…
と私はすぐさま感じ取りました

昔のトラウマも蘇り
ギリギリ状態の私に
また"疎外感"が
追い打ちをかけてきました

悲しい
寂しい
辛い
もう悲劇のヒロイン状態

もうここから
私はママ友なんて
作らない!
こわいこわいこわい!
県外でなんて友達作れない!

という超ひねくれた想いを持ち
数年こじらせることになります

あの時のAさんに迷惑かけちゃったなぁ
と今ではめちゃくちゃ反省なのですが
私はそこからAさんにも
会えなくなってしまったのです


これが私の37年生きてきた中の
最大のトラウマです

今思うと
BさんCさんも1.2才を子育て中で
幼稚園待機で待てど待てど
空きがないという状況だったようで
私は社員で働いて保育園に預けられている
そんな環境の違いと
自分の余裕のなさにイラっとしちゃった
んだろうなとなんとなく
分かるんですが

この時の私は相当
心をえぐられたのでした

ここから私はどうやって

わたしは最強まで
こじつけたのか?!

乞うご期待笑

今日も読んで頂きありがとうございます

ではまた明日⁑

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