この庭に死す(1956🇫🇷🇲🇽)
原題: LA MORT EN CE JARDIN(1956、フランス=メキシコ、97分)
⚫︎脚本・監督:ルイス・ブニュエル
●出演:シモーヌ・シニョレ、ミシェル・ピコリ、ジョルジュ・マルシャル、シャルル・ヴァネル、ティト・ジュンコ、ラウル・ラミレス、ミシェル・ジラルドン
南米のとある国が舞台。
鉱山の採掘権が国家によって接収されたことから起きた坑夫たちの暴動で、首謀者とされた流れ者のシャーク、坑夫のカスタンが賞金首をかけられたお尋ね者となる。
その二人に加えて、カスタンの娘で聾唖のマリー、カスタンが一方的に結婚を迫る娼婦、神父らを道連れにしてボートで逃亡するという話。
シャークが安宿があると聞かされ、知らずに娼婦のベッドで寝ているとドアから猫が入ってくる。
こういうショットをわざわざ意味ありげに挟むのはなんとなくブニュエル的だなと思った。
件の鉱山ではダイヤモンドが取れるらしいが南米でダイヤモンドって取れるのかな?フランス語圏ということでギアナとかその辺だろうか。
映画の本筋は密林へ逃げ込んでから。
シャークが一党を引き連れて密林の中へ入っていくが、後々考えてみると、まるで逃げることのできない極限状態を作り出したいがための不自然な意思によって導かれているようだった。
アマゾンのジャングルに素人がノコノコと入り込んで逃げられるなんてあまりにご都合主義だし、というより生き残れるかどうかは主題ではなく、この状況に置かれてしまった人達がどういう行動を取るのかという社会実験的視点をブニュエルが目論んで作ったように見える。
『皆殺しの天使』のことを考えればなおのこと。。
シャークの両足にもたれかかる二人の女のショットも『欲望のあいまいな対象』を彷彿とさせて、印象的。
神父が聖書を破るシーンも、生きるか死ぬかの時には火を燃やす紙としてしか用途がないという皮肉。
焚火の跡を発見し助けを求められると安堵したのもつかの間、捨てられた絵葉書を見てそれは自分たちの焚火の跡…つまり元の場所に戻ってきただけだったと分かる絶望のシーン。
堂々巡りの地獄。
密林の中でようやく見つけた食糧、蛇を倒して捌こうと地面に置いておいたら一気にアリが群がり、使い物にならなくなる絶望のシーン。
ここも実にブニュエル的なショットといえるが、映画終盤の、飛行機墜落に出くわし戦利品を求めに群がる五人の姿と対応している。
ここも生きるか死ぬかという点ではアリも人間も同じだよねってことを言っているかのようだ。
生き残れるかは主題ではなく…と書いたが、最終的にカスタン(=父親)が死に、神父(=宗教)が死に、娼婦(=セックス)が死に、強靭な肉体を持つシャークと聾唖の(=言葉を持たない)マリーが生き残った…ということもなんとも暗示的で、おもしろい。
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