【本/感想】善悪の前に
高瀬隼子さんの「いい子のあくび」を読んだ。やっと読んだ。
読んでいるうちに直子に対する感情がどんどん変化していった。まだ消化しきれていない感じはあるが、この本について書いていきたいと思う。
この作品を構成する要素に「ながらスマホ」と「ぶつかりおじさん」がある。
街にいた頃は歩きスマホの人を見かけることがあった。彼らにイラつくのは、「周りの人がよけてくれるだろう」という確信犯的な考えが透けて見えるからだろう。
ぶつかりおじさんに遭遇したことはまだない。でも、そういうものが存在するらしいというのをSNSで目にしたことがある。そして被害を訴える投稿をしているのは往々にして女性である。
街中で人にぶつかられることがあると直子が話すと、交際相手の大地は「俺、ぶつかられたことないよ」と驚いた。体格のいい男にぶつかりに行く人なんているわけがないのに、この人は何を言っているんだろうと思う直子。そう思って、自分が「選別されて」ぶつかられているということを改めて思い知るのだった。
なんでそんなことをするんだろう。人の迷惑になるから、というのは人混みでスマホを見ない理由にはならないんだろうか。「ぶつかる」って言うと軽く聞こえるけれど、狙いをつけて意図的にぶつかっているのだから殴っているのとほとんど変わらない。
歩きスマホもぶつかりおじさんも、周りの人をどうでもいいと思っているんだろう。迷惑をかけようが、不快にしようが、怪我をさせようが、知らない人だから自分には関係ない。どうでもいい。だから無神経な行動ができる。でもその「どうでもいい人」には自分より弱そうな人しか入らない。
死ねばいいのに。被害にあったわけでもないのにそう思う。
歩きスマホもぶつかりおじさんも悪くて、よけない直子は悪くない。正しい。でも、常に正しくいるのって疲れない? 読みながらそう思っていた。
人より先に気づくのって損だよな、と思う。多分私も直子と同じように、人より先に気づくタイプの人間だ。
気づいて、なんで誰もやってないんだろうと思ってむかつく。それを訴えると、気づいてもやらなきゃいいんだよと言われるだけで、やっていない人たちが罰されることはない。それが不満だった。気づいてやっている私がまるで間違っているみたいだ。正しいことをしているのに割を食っている。
直子は日々のむかついたことを手帳に書き留めている。そのことが、些細なことに怒りを感じる自分を肯定させてくれる。
自分の精神状態をできるだけ良好に保つために、悪いことは忘れないといけないと思っていた。でも確かに私は怒りを感じていた。不快だった。それをなかったことにしなくてもいいんだと思った。
直子は会社でも、友達の前でも、大地の前でも、家族の前ですら猫を被っている。ごく自然にその人にとっての「いい子」を演じ続けている。
その背景には祖母との関係があるようだ。祖母に叱られるのを避けるため、祖母が望む「いい子」を演じてきた経験が今の直子を作っている。
みんな猫に騙されている、と直子は思っている。みんなが好いているのは直子自身ではなく、彼女が被っている猫なのだと。
猫を被っていれば嫌われることはない。でも「いい子」を演じることで降ってくる災難もあるし、人生の岐路に立って友達と疎遠になっていくことを避けられるわけでもない。
いい子を演じること。それはありのままの自分を隠すこと。
ありのままの直子はながらスマホやぶつかりおじさんにいらだちを感じる。無神経な相手のために自分がよけてあげる、ということに抵抗を感じる。それは正義感とは言えないだろうか。直子は自分勝手な行動はすべきでないと思っている。だから自分勝手な人たちにいらだつし、それを正したい、相手の行動の結果を示したいと考えている。
もう二度と会うことはない知らない人たちだからこそ素の自分をぶつけることができるのかもしれない。出会いも別れも一瞬で、その後の生活には影響しないから。そういう意味では、ながらスマホもぶつかりおじさんも、直子も——そして私たちも同じだ。
みんなは猫に騙されていて、直子が本当はどんな人間なのか誰もわかっていないと彼女は思っている。
その一方で、直子は大地や圭さんを「本物のいい人」だと信じ込んでいる。他の人が自分のように猫を被っている可能性についてはまったく考えていない。
結局、善人だと思っていた大地は浮気をしていたし、圭さんだってどこまで素を出しているかはわからない。直子の知らないところで何を考え何をしているかは本人たちしか知らない。いつでも、どこでも、誰にとっても「本物のいい人」になるのは不可能かもしれない。
直子は本当の自分を誰も知らないということに安心しながら、その一方で本当の自分を誰にもさらけ出せない寂しさを感じていたのだった。「偽物のいい人」は自分だけだと思っている直子は純粋と言えるかもしれない。
大地に対する直子の気持ちは、好きとか愛してるとか、そういった言葉では語られない。でもこの文章を読むと、大地といることで直子は少し気楽になれていたんじゃないかと、そう思う。そういう相手と出会うことは簡単なことではない。
直子は正しいことをしていると思っているのだけど、一般的に見てそれは「ひどいこと」であるらしい。自覚しながらそれをするのは、なかなかエネルギーがいることであると思う。
大地といると世界や自分を直視しなくて済むのだろう。世界も自分も大したものではないけれど、大地がいるから今ここは安全地帯だと、そう思えていたんじゃないだろうか。
直子は大地と別れるだろう。お互いの思う正しさが、譲れない部分が違うから。そしてそれを大地は許容できないから。
不動産屋の前でうずくまる老人に声をかけた直子も、「お客様の声」でおばさんの轢き逃げを密告しようとした直子も、どれも本当の直子だ。いい人とか悪い人とかではなく、それが直子だ。人に言うのは憚られるような一面をきっと誰だって持っている。
偽ったって偽らなくたっていいけれど、直子が本当の自分をさらけ出すことができて、孤独が薄まる時間ができたらいいと思う。
高瀬さんの作品にはどうも感情移入してしまう。それはしんどいのだけど、感情移入できればできるほど好きだと思う。
私と高瀬さんの感覚——考え方とか、怒りを感じるポイントはもしかしたら似ているのかもしれない。そうだったら嬉しい。
「うるさいこの音の全部」もぜひ読みたい。
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