12/8 四日目 17歳が「幸せ」を考えてみる
「あなたは感情をコントロールしているというよりコントロールされているか」
今日、流行りの性格診断というものをやってみたんですが、これはそこにあった質問の一つです。結果は別として、僕はこの質問が診断を終えた後でもすごく心に残っているんですね。
なぜかというとそれは想像に容易いように、僕が最近感情を支配しているというよりコントロールされているなと感じることが多いからです。
僕は今Toefl の試験勉強を継続的にしているのですが、本当は部活から帰って勉強するだけでも偉いはずなのに(一般的にはたぶんそう)、ただ勉強しているだけではなぜか焦ってしまう。自分はなぜこんな資格勉強ごときに手こずり時間を浪費しているんだと自分を叱りたくなる。
そしてそんな必要ないのに、ネットとかで紹介される同級生の優秀な多分野学習者と自分を比べてしまって、どうしようもない自己嫌悪に陥る。それの繰り返しです。
過ぎたるはなお及ばざるが如し。そうやって言ってしまうのは簡単だけれど、それを僕自身の血肉として理解し実践することはとても難しい。
一つはSNSの存在があるのだと思います。SNSの性質上やはりそれはある人の良い面ばかりが誇張される。そして我々はそれを覗いてある時は安堵し、ある時はどうしようもない嫉妬を抱く。
言うまでもない事ですが、やはりこれは本当に非生産的な感情です。
もう一つは自分の能力に対する過信だと思います。自分はまだできるはずだ。その気持ちは持っていないよりはマシなのかもしれませんが、時折それは自分を苦しめるプレッシャーにもなってしまう。
じゃあどうすれば良いのか。
やっぱりそれは満足する事だと思うのです。
僕は幸せとは「満足すること」だと思います。もちろんそこには何かを追い求める、向上的な幸せというのも存在するのでしょうが、それとは別に恒常的な幸せの話となると、この満足することというのは非常に重要になってくる。
大事なのは何を与えられたかではなく、与えられたものをどう使うかです。何のカードが配られたかではなく、そのカードでどう勝負するかです。
この情報とモノに溢れた中で、本当の意味で自分自身と向き合って、深淵を覗き、内容のある反省すること、、、やはりこれはとても難しい。
でもそうすることによって、満足というものが見えてくるはずです。今与えられたこの状況にまずは満足し、そして感謝し、地に足をつけて生きていく、そんな世の素晴らしさと生きがいが見えてくるはず。
比べない。
満足する。
日に我が身を三省す。
難しい。わかっているつもりではあるのだけれど、理解しているつもりではあるのだけれど。
やはり私たちは、文明社会がもたらした物質的な裕福さとは裏腹に、本当にそこには精神的自由、豊かさが存在しているのかどうか、そしてその要因は何であるのか、今一度考えてみる必要があるのだろうと思います。
比べない。
満足する。
日に我が身を三省す。
これに尽きます。