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子ども自身を認め、受けいれる前に大事なこと

▷▶︎この記事で言いたいこと
・いくら育児書などで「子どものありのままを受け入れる」と学んでも
親が自分自身を受け入れる体験、実感がないと難しい。
・大人になっても、親になっても
褒めてもらえたり、共感してもらう体験が大事。
・親こそ、自分が安心して、楽しい〜と思う時間をもとう。それが巡り巡って子育てに活きてくる

イヤイヤ期や反抗期の子育てハウツーではよく
こどもの気持ちを受け止めよう という。
共感しましょうと。
「そうだね、〇〇したかったよね」と言おうと。
頭では分かってる。
でもできないのが悲しきかな現実。
余裕のない時はイライラが募り、
何だか自分が責められてるような気がして
「もうそんなこと言うんだったら〇〇なし!」と言ってしまったり。

なんで子どもの癇癪を受け止められないか。
それは
自分が、自分自身に対して
「そうだよね、そう思うんだよね」と肯定できていないから。

自分自身が、親から共感してもらった経験が乏しかったり
大人になって、自分の頑張りを認めてもらう経験が減ったり
自分で自分を認められる経験が少ないから。

仕事は、成果が目に見える。から、頑張った分の結果がついてあんしんする。
でも子育ては、先が長い。
月給がもらえるわけでもない。
知識も少なく、いきなり親業を始めて、休めなくて、安心できる時がない。

そんな時、世間からは、親なんだから堂々としていて
子どもの丸ごとを受け入れるものだ、と思われる。
道で叱りすぎてるときに、あんなに怒らなくても、可哀想に
なんて思われる。
なんとなく、育った環境の中で
そういう完璧な親像の認識が勝手に身についちゃってて。

でも結論。
自分を認ることができて初めて、心から子どものことを受け入れられる。

ある友人に、子育ての辛い気持ちを話すと
わかるよ〜って共感してくれた後に自分の子育てのことを
私めっちゃ頑張ってるもん!笑
と明るく言ってのけた
自分のことを、イライラする感情含めてまるごと受け入れられてる。
この子は優しくて、しっかりしていて、みんなに愛される可愛い人だ。
それはやっぱり、感情を出して、明るく自分のことを受け入れられているから
その人柄が滲み出てくる。

じゃあ、どうすれば自分を受け入れてあげれるか。


まずは気持ちをことばにすること。
話すでもいい、書くでもいい。
日記、と言ったら続けなきゃ、とかノートを用意して、とか構えるけど、
チラシの裏でも、買い物メモ用に買ったメモ用紙でもいい。
とにかく、出すこと。
アウトプットする事で、自分の気持ちがわかる。
イライラした時だけでもいいけど、できたら習慣づけたい、
週に1回だけでもいい。

もう一つは、お互いに認め合い、褒め合えるような
開かれたマインドを持つコミュニティに参加する事。
そこで、話す。そして認め合う。
それが自然にできているところが増えればいい、、
多様性を認め合うコミュニティ。

あなたはそう思うんだね、そこすっごくいいところだね!
私はこう思う。それに誰かが、いいね!という。
できれば対面が良い。
こんな時代だからこそ。
人間誰しも、わかり合いたい生き物だ。
認めて欲しい。

それが、母親になったら、守るものができたということだけで
急に何にも動じない強さを求められる。求めざるを得ない。
すぐ隣の人に助けて、と言えないのだから。
自分だけで頑張るしかない。
支え合うはずのパートナーさえ、多忙で家族との時間が取れない。

そんな時代だからこそ、母親としての自分を、1人の人間として
認めてもらう体験が必要。
私は、どんな私でも良いんだ。と。
それが腑に落ちていなければ。
自分自身での実体験なくしては。
子どものありのままを受け止めることなんてできないんだ。

いくら育児書やアドバイスでハウツーを学んでも。
誰かがそう言っているから、書いてあるから
やってみても
その時どきの気分や体調で、簡単に元のイライラに戻ってしまう。

特に、自分の親が厳しくて、受け入れてもらえてない不安感を
持ってきたと思う人は
(私もそうだった。父は気分屋で短気、子は親の意思に従うべきだという無意識がある。そしてそれはまた、祖父もそのような親だった。から)
趣味で繋がれる人でも、地域のボランティアでも
ワクワク楽しんでいる人たちがいるコミュニティを見つけて欲しい。
自分自身を受け止めた次は、楽しむこと。

時に子どもを預けても。
アメリカではベビーシッターに頼んで夫婦で映画を見に行ったり
2人だけの時間をもつことが普通にあるという。
自分を取り戻す時間が必要。
その時にできたら安心感を得て欲しい。
安心感の上に、楽しみへの探求や自己実現がある。

帰ってきたら子どもに優しくなれる。
これが月に一度、とかではなく週に何度でも。
お金を払って預けることが難しければ、
YouTube見させてる間に友達と話すとかでもいい。
(YouTubeの善悪は色々言われるが、この時間も持たずに精神的に疲れ切ると
結局YouTubeをずーっと見せすぎて罪悪感、またイライラの原因になってしまう)
パートナーに思い切って頼んで出かけちゃって欲しい。

とにかく自分最優先になって欲しい。
これは無責任なことではない。
自分を愛せた人が人を愛せるんだから。
その体験がとにかく必要だと思う。

次の記事で、最近この気づきを得るにいたった
私の実体験を書きたいと思います。

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