最近介護を受けることに私の生活はどこに行ってしまったの
介護制度が始まって30年あまりなってきていますが
だんだんと介護の基準が変わって来たのか遠慮しながら介護を受けなければならない状況に今なりつつあるのではないのかなとつくづく思い疲れ果てている現状です。
それは介護を受ける側の生活においても介護者が私達うける側のより良い生活するため私たちに言ってくださるのはありがたいことなのですが
受ける側の私の生活もあるのでこちらの希望を聞いた上での介護のあり方でお世話になりたいなのですが
なぜか最近介護者からの私が生きていく上での生活環境での 意見が先行してしまって、受ける側の介護の希望がどこかに消えてしまうことが多く見受けられるようになってしまっているように今生活する上で感じることが多いのです。
例えば私の考えで日常生活を自分なりに 毎日送っていることに介護をしてくれる介護者の考え方で 言われることが多く その日常の生活パターンにしても助言するかのように言われ 私のことを考えて言ってくれるのはありがたいことでもあるのですが
それに 生活する上での介護の時間の拘束があるので仕方がないとは思うのですが
私が 生活する上での自由な時間を設けることもできないので 自由を求めることも難しく そのだめ 友人との交流 時間にまで時間がなかなか取れないような気がするのです。
また日常生活する中においても色々と 意見を言われるることが多く 例えば食事のあり方についても私は私なりの考えで生活費がかさむこともあるので我慢しながら食事をとっていることについても介護者の方から意見を言われ自分の生活パターンまでをも変えられたことなどこちらに合わせてもらえることがだんだんと少なくなって行くような気がするのは私だけでしょうか
確かに時間に追われるのは分かりますがある程度の時間の配分は自分なりに考えさせてもらい頼んでいるつもりだしそれに介護者の仕事の限度や基準はわかっているつもりなので私達のできない部分だけをお願いして以来しているにも関わらずいろいろと入り込んでこられて意見がましく言ってくるのはお互いしんどくなるのではないでしょうか
それにそのような思いやりをされる毎日を送っていれば私自身も介護者以上の付き合いを求めてしまうことにもつながってしまうのでお互い 関係がおかしくなって困ることになるのではないでしょうか
今後お互いに尊重できる関係を作る意味においてもある程度受ける側の介護のお願いすることを待ってもらい私たちの生活基準にそった介護をお願いしたいものです。
お互いそのような関係性で介護を気持ちよく受けたいものだと最近思うのです。
うける側のわがままなのかもしれないけれど 私たちの立場のことも考えてもらえれば嬉しいです。
私のいい子になる性格が邪魔をしていることによってこのようなことに疲れ果てている素直な気持ちを書かせてもらいました。生意気なことを言いました ごめんなさい