坂本淳

障害者で福祉活動をこれから活発にやっています 神戸 で活動を 今後 続けていくつもりです 年齢は 69ですこの10月より社会福祉団体松ノ木 会を結成してスタートします 障害者問題を共に考えていく 団体として結成しました

坂本淳

障害者で福祉活動をこれから活発にやっています 神戸 で活動を 今後 続けていくつもりです 年齢は 69ですこの10月より社会福祉団体松ノ木 会を結成してスタートします 障害者問題を共に考えていく 団体として結成しました

最近の記事

母親の私に対する教育で私の今の自分が形成されました。

母親の私に対する教育で私の今の自分が形成されました。 昔 昭和の時代 重度障害の体で生まれてきた私はその時代では不思議なぐらい当時の社会  はまだまだ障害者が世間の中に打ち解けられない時代でもあった 当時の重度障害のあるものにとっては家の中で家族に見守られて甘やかされながら生きていたのが主流の考え方の時代でもあったのでした。 そしてもっぱら障害者が家にいることを家族がひた隠し表に出すことすらためらいまだまだ社会の中で障害者が目に 止まる ことなどなかった時代でもありまし

    • 風天の虎みたいな私

      私が50年前ある女性と 渥美清の映画で 風天の虎という映画をデートで見に行った時のことである映画の主人公はあちらこちらに彷徨いながら生きている そしてその旅先の女性に熱を上げ惚れっぽい男で優しさも備えていたので お互い 恋愛感情にはなるものの すぐに諦める虎はその気になっているにもかかわらず自分から身を引く ストーリーの映画だったのでその映画が最後に差し掛かろうとした時に私と一緒に映画に行っていた女性から まるで あなたみたいだと言われ このような男にはならないでと言われたこ

      • 誰か私に救いの手を

        今70歳を迎え考えるのは自分の行く末のことで自分の体がだんだんと変わってくることにつれていいしれない 寂しさと昔から頑張った自分を考える時自分の今までやってきたことが原因でもあるけれど 今置かれている立場としてはひとりぼっちになってしまった自分自身の生活がある それは自分の責任でもあるし自分が一人ぼっちになる原因を作ってしまったのは現実でもあるので贅沢は言えないけれど自分が死を迎える時に今のままでは誰にも見取られず誰にも見送られることなく 今の私の現状ではただゴミのように焼

        • 70年の歴史を振り返り 生きてきた 証

          私の人生 70年生きてきて この頃つくづく障害の人生のあゆみのことを思い浮かべ 自分なりの ほこりと苦労の歩みを思います。 生まれてすぐに脳性小児麻痺の 障害と診断されてから今の自分を考えると まさかの状況を歩んで来られたなと思います。 世間一般からすれば不思議なぐらい 今の自分を見つめると 重度障害の体を持ちながら一般の男として生きてこられた 自分 幼ない頃は 重度 障害の体で体中 筋肉 硬直からくる手足の曲ったままの状態の私自身であった自分が 訓練を重ね 小学校3年ぐ

          秋本番 人恋しい季節となり寂しさが募る

          秋本番 人恋しい季節となり寂しさが募る 今一人暮らしの私にとって今の季節が一番嫌な季節です。 障害を抱える私にとって最近特に体が動かなくなることによって部屋にいることが1日中同じ場所で ただ 窓から外の景色を眺めるだけの自分がいる季節の変化はよくわかるようになって今の秋の空がもの寂しさを掻き立てる周りにはお世話をしてくださる人はたくさんいてくれるけれど 贅沢な話なのかもしれないけれど 真から寂しさを紛らせてくれる人が欲しい気持ちをかき立てる 本当に 贅沢な話だとは思うけど

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          障がい者介護制度への意見提案

          介護制度が出来て23年が過ぎようとしてますが介護制度に少し疑問や障がい者の不便さ不満があります。 まずは、受ける側の立場やヘルパーとの関係性、また介護事業所と利用者との関係性など、やってもらう側と介護を行う方との関係などに少し隔たりなどもこの23年間で出てきています。 そこで私たち障がい者のあり方ヘルパーさんたちとの関係が自分たちの立場が少しずつ後退の方向になってきている様に最近思われます。 これは、自分自身だけなのかもしれませんが介護事業所及び従業者の為の制度になりつ

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          本当に障害を抱えて 恋愛することは難しいね

          私がこの方 70年生きてきて 何度となく人を好きになったことは 数えるぐらいあるけれど自分の弱い心が邪魔をするのか うまく伝えることができないのか うまくいかないことばかり 本当に人を気になり 愛することの意味すら自分がわからないまま終わってしまうのか どうすれば本当の愛情を感じ 愛情 相手に伝えることができるのか この年になるまでわからないまま終わってしまうのか 老体に鞭打ち 挑戦するけれど 果たして掴めるだろうか過去に知り合った人を純粋に愛せなかった今では一人ぼっち 寂し

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          70年振り返り苦難の人生を振り返り

          70年振り返り苦難の人生を振り返り 今私自身 つくづく私の人生は戦いの人生だったのかなと 思います。 生まれてすぐ体に障害という 荷物を背負い 生まれてきて人生の山あり 谷あり 波乱万丈の人生を歩んで来たように思う 幼い頃は自分の体を動かすために力を振り絞り幼少期を過ごし ようやく 青年期に入るとともになんとか自分の力で完璧ではないものの自分の少しは動きやすくなり行きたいところにも動けるようになり人の手を煩わすことも少しずつ減って思春期 には生意義にも 恋愛の感情を持ち 失

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          今の私の生活する上で

          私が 70年生きてきて この年になるまで 自分は自分らしく生きてきたつもりだったのにそれが間違った生き方だったとは思いたくないこの頃回りから言われることが胸に突き刺さる 思い ばかりを感じながら毎日を送らなければいけないとは 気づかされなかったのか いやになるほど思わされる毎日を送っています。 自分では周りの人のことを考えさせてもらうつもりで誠意を出しながら示してきたつもりの自分だったのにその誠意が伝わらず時には自分自身でそのようなことを思っても見なかったにもかかわらず全て誤

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          介護をお願いする人への利用者からの気持ち

          最近の利用者から見て 介護者のヘルパーさんに思うことは前の記事にもかかしてもらったのですがその介護者だけなのかもしれないけれど自分の気持ちが先行してしまうのかわからないけれど自分の都合ばかりを言われることが目立つようになって来ているような感じが目立っているように感じるのです。 介護に入る時間のことにしても本来自分の都合に合わせてお願いをしているにもかかわらず自分の都合ばかりを言われる方が出てきています。 本来皆さんとの契約で介護をお願いしているのだからありえない希望が出る

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          最近介護を受けることに私の生活はどこに行ってしまったの

          介護制度が始まって30年あまりなってきていますが だんだんと介護の基準が変わって来たのか遠慮しながら介護を受けなければならない状況に今なりつつあるのではないのかなとつくづく思い疲れ果てている現状です。 それは介護を受ける側の生活においても介護者が私達うける側のより良い生活するため私たちに言ってくださるのはありがたいことなのですが 受ける側の私の生活もあるのでこちらの希望を聞いた上での介護のあり方でお世話になりたいなのですが なぜか最近介護者からの私が生きていく上での生

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          障害に生きてきた 70年

          障害に生きてきた 70年 私は 70年 人生を生きてきた。 生まれて 時から すでに障害を抱える体を持ち生きてきました。ある時は もがき苦しみながら 自分の体を少しでも動かせるように前向きな性格を作り上げ 生きてきたつもりでいました。 ある時は自分の性格からくじけることなく 笑顔を絶やさない 自分を作り上げある時は相手の気持ちを少しでも理解できる 自分を作り上げ 苦労を苦労とも思わない自分を磨き 生きてきたつもりでいました。 でも今70年生きてきて思うのは何か間違いような

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          今自分の性格のことでいやになる

          今自分の性格のことでいやになる 自分の体が悪くなるほど迷いと 性格からのことで嫌になっていることが多くなっています。  最近特に体が日々刻々と変化している中にあって自分の性格から言いたいことも遠慮しながら日々 暮らしている中に素直になれない 自分がいることを思うたびに嫌われたくないという すべて いいこぶって済ましてしまう自分がいることが全て逆に皆さんの気持ちを受け止められなくなり悪く思われる自分が毎回のように 誤解されるようになってしまい体の状態の悪くなるのにも関わらず

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          誰か私の寂しさをすくってくれませんか

          誰か私の寂しさをすくってくれませんか  最近よく思うことがあるのです。 それは私の70年生きてきて この年になって寂しさにもがいている自分が悲しいんです。 わがままな人生を送ってきた 自分自身が 今このようなことになるとは 幼い頃から負けず嫌いの自分が障害を抱え 必死で生きてきたある時は自分の障害と戦い ある時は人と戦い 障害を 感じさせないように必死で砕いていて 人生を送って来た自分 だったのに 高齢の年になった 自分を ふと振り返り 独居老人の自分に気がついた時 障害

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          最近時間に生活のリズムが狂ってきている自分

          最近時間に生活リズムが狂って来ている自分 70年生きてきて自分を見失ってしまうことがあります。 それは介護を受けなければ生活が成り立たない自分を考えるとき 幼い頃は 比較的 自分のペースで生活をしていた頃のことが今ではお世話にならなければいけない自分を考えると相手に合わさなければ生活が成り立たないことに ほとほと疲れ不安がつきまとう ことばかり 特に 時間の配分のことで何かの都合により 変更されることもあるのでそのたびに 誰がお世話に来てくれるのか またその連絡がない場合私

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          ヘルパー 制度をお願いする立場の今の思うこと

          今思うこと ヘルパー 制度が30年近くなってきた 現在私自身の思いだけなのかもしれないけれど 介護を受ける立場のものより提供してくださる ヘルパーの皆さんの立場の方が強くなってきているように私は感じるのですが 無論 全員がそうではないとは思われるのですが 30年も経つとその中には受ける者も確かに 考え方のことがあるので一概には言えないのですがお金がまつわる制度であるのも一つの要因になっているのかもしれないけれど 受ける立場の方の当たり前のような わがままを言い過ぎなのか

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