エッセイ : 僕の身の周りの高齢化問題 4 / 一人暮らしのおじいちゃん & 一人暮らしのおばあちゃん(男の高齢者の現実)
3ヶ月ほど前、僕は中学の時からの親友と久しぶりに居酒屋で飲んだ。
料理が旨くコロナ対策も万全なその居酒屋は繁盛していた。
隣のテーブルで飲んでいた僕達と同年代の2人の男の人がこういう会話をした。
「俺、長生きはしたいんだけどさ、女房よりも先に死にたいんだよ。」
「俺も、女房よりも先に死にてえ。」
「一人暮らしのおばあちゃんは、まだ愛嬌があっていいんだけどさ。一人暮らしのおじいちゃんなんか誰も近寄ろうとしないよ。」
この2人の男の人の会話、僕は真実だと思う。
僕も妻よりも長生きしたくない。理由は同じだ。
95歳で亡くなった僕の伯父は非常にお洒落な人だった。87歳の伯父に会った時も、伯父はグレーのスラックスに白のシャツを着て、エンジ色のカーディガンを着て、同じくエンジ色のベレー帽を被り、チェーンのついたお洒落な眼鏡をかけ、パイプを口にくわえ、オーデコロンの良い香りまで漂わせていた。
結婚指輪の他に指輪をはめていて、取り出したスマホは濃いグリーンのスマホケースに入っていて、そのスマホケースには趣味の良い装飾もされていた。
そしてよく見ると、メンズネックレスまでしていた
僕が、伯父さんはいつもお洒落ですね、と言うと、
伯父から意外な言葉が返って来た。
伯父は僕にこう言った。
「ユウキくん、男は年を取ったらお洒落をしなくてはいけない。若い男にお洒落の必要はない。若い男は洗いざらしのジーンズと白いシャツだげで充分素敵で魅力的に見える。若いとはそういうものだ。
男は年寄りになると、きちんとした身なりをしていても不潔に見えてしまう。普通にしていると汚くも見えてしまう。しかも嫌な匂いまでするようになる。お洒落をして初めて普通に見える。年を取れば取るほど、精一杯のお洒落をしなくちゃいけないんだよ。」
僕が住んでいる地区に、一人暮らしのおじいちゃんの家と一人暮らしのおばあちゃんの家がある。
そのおじいちゃんは病気で10年以上も前に奥さんを亡くしていた。
おばあちゃんは、まだ還暦の時に旦那さんを事故で亡くしていた。
先月、そのおばあちゃんの家の前を通り過ぎようとすると、とうもろこしを茹でたから食べていって、と言われた。僕が恐縮していると、遠慮しないで、と言って冷たい麦茶を持って来てくれて、僕は、とうもろこしをご馳走になった。
そして30分ほど世間話をして帰った。
僕は妻が作った筑前煮を妻にお重に入れてもらい、
そのおばあちゃんにお礼として持って行った。
おばあちゃんは、筑前煮は大好きだと言って喜んでくれた。
そのおばあちゃんは、僕の様に近所の人たちと楽しくコミュニケーションを取って暮らしている。
だから、近所の奥さん達は時々おばあちゃんの様子を見に行ったり、家の草むしりをしてあげたりしている。僕たち男は冬になると、そのおばあちゃんの家の雪掻きをしている。
そのおばあちゃんは一人暮らしだが、殆ど何の心配もなく生活している。
一人暮らしのおじいちゃんの家は、同じ地区だが、
僕の家から少し離れた場所にある。
そのおじいちゃんは健康のため、毎日朝夕、町内を散歩しているが、会う人たちは、おはようございます等の簡単な挨拶をするだけで、それ以上話をしようとしない。
そのおじいちゃんの近所の人たちも、所謂近所付き合いというものはしていないみたいだ。
そのおじいちゃんは変な人なのか? というと、
変な人ではないどころか、誠実で礼儀正しい人なのだ。会社勤めをされていた頃は技術部の部長さんだったという。
僕は朝、出勤する前にゴミステーションに家庭ゴミを捨てに行くのだが、そのおじいちゃんと会う時がある。
挨拶した後、数分間位だが何度か話をしたことがある。僕が住んでいる地区は、1年に1度、その地区主催の後期高齢者対象のお祭りみたいなものがあり
高齢者の方々がお芝居を見たり、ゲームをしたり、
食事をして楽しく過ごす。
そのおじいちゃんは、そのお祭りで知り合った人たちとLINEでやり取りをしていると言った。そして、
人とのコミュニケーションはそれだけだと。
そのおじいちゃんの1番の心配事は、殆ど人と話す機会がないので、ボケてしまうのではないか? ということだと言っていた。
僕は、僕と話し終わり帰って行くそのおじいちゃんに、失礼な言い方だが、すごい孤独感を感じた。
だが、これが男の高齢者の現実だ。
奥さんに先立たれた男や独身貴族を謳歌して結婚しなかった男の最後はこうなる。
居酒屋で僕たちの隣のテーブルにいた2人の男が、
自分の女房よりも長生きしたくない、と言ったのは
正に男の本音だと思う。
そのおじいちゃんは最近再就職をした。
何処に就職したかと言うと幼稚園。そのおじいちゃんは保育士の資格を持っていたわけではない。では
事務職か、と言えばそうでもないのだ。
そのおじいちゃんはその幼稚園のおじいちゃん先生になった。
僕の妻は幼稚園の保母さんをしていたので、よく知っているのだが、保母さんというのは、幼稚園児達の面倒をみるだけの仕事ではない。運動会の玉入れ等の道具を作ったり、遊具のメンテナンスをしたり
壊れた園児達の机や椅子を直したり、ウサギ等の飼っている動物の世話をしたり等の仕事がある。
そういった仕事を、その幼稚園では高齢者の男性にやってもらおうという話になり、おじいちゃん先生を募集した。
そのおじいちゃんは元々エンジニアであり、手先も器用だったことから、見事おじいちゃん先生の試験に合格した。
そのおじいちゃんは、自分たちには子どもが出来なかった。神様が人生の最後に子ども達と楽しい時間を過ごす機会を与えてくれた、と言って喜んでいた
このおじいちゃんの様に、専門知識や得意なものがある人は、高齢になっても社会とコミュニケーションを取ることが出来る。何も持っていなければ、
ただ孤立するしかない。
男は高齢化問題にもっと深刻になるべきだと思う。
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