忘れられない恋物語 ぼくたちの失敗 森田童子 5 ふたりを包む大きな愛

僕は日曜日は鉄工所でバイトをしていた。当時としては破格の時給1500円だったからだ。
バイトが終わると汗まみれになっていたので、バイト先の鉄工所の側にある銭湯に行っていた。
そして、近くの中華料理店でいつも食事をしていた
その日、銭湯から出て来ると

「鈴原、お疲れ様。もうただの後輩だから、鈴原って呼び捨てにするわよ。」
「茉莉子さん、どうしてここに?」
「その前に、お腹空いたでしょ。ご飯食べましょ。」

茉莉子さんは僕を洋食屋に連れて行ってくれた。
ビーフカツレツ定食をご馳走してくれた。茉莉子さんは、私のライスも食べなさい、と言って、僕に
ライスの皿を渡してくれた。

「鈴原、私はこの街に詳しいの、理由は後で説明する。まず最初に、鈴原、ありがとう。香奈恵を立ち直らせてくれて。私は来春卒業する。香奈恵は私のかわいい後輩なの。その後輩が変な男と同棲していて、卒業して行くに当たり、それだけが心配で心残りだった。ところが、香奈恵がその男と別れて鈴原と付き合い始めたと聞いた。良かったと思った。
でも相手は私の元カレ、確かに私は今の彼を選んだけれど、何とも思わなかったわけじゃないのよ。
鈴原が気にしてると思うから最初に教えてあげる。」

茉莉子さんは優しく微笑んだ。

「私が鈴原じゃなくて彼を選んだのは難しいことでも考え込むことでもないの。鈴原、女はね、好きな男が一生懸命生きている姿が見られれば、それでいいのよ。余計なことをする必要ないの。それが仕事であれ、スポーツであれ、音楽であれ、自分の夢や目標に向かって頑張っている姿を見ていられれば幸せ、みたいなところがあるの。そんな男の姿は輝いて見える。鈴原はヨーロッパに行きたいという夢に向かって一生懸命。短い間だったけど、鈴原に惹かれたのはそのせい。香奈恵も根本にはそれがあるはずよ。ただ私には鈴原よりも彼の方が輝いて見えたそういうことなの。」

ビーフカツレツ定食を食べ終わると、茉莉子さんが珈琲を頼んでくれた。

「この間、香奈恵が私のところに来てね。私は鈴原君の心の中にいる茉莉子さんは嫌いだけれど、サークルの茉莉子さんは好きだと言った。正直な子だと思った。鈴原、香奈恵は大学を辞めるわよ。ビックリしたでしょう?香奈恵は栃木県だったかな?農業に携わりたい人が農業を1から学ぶ学校に行くことにしたの。鈴原にも農業のことを話したことがあるでしょ。鈴原も飲んだことがあると思うけど、あの美味しいトマトジュースを作っているところに見学に行ったことがあるんだって。そこでトマトを栽培しているところやトマトジュースを作っているところを見て、心が落ち着いたと言った。ボロボロになった自分の心と身体を治すには、土の匂いがするところがいい、土の匂いを嗅ぎながら生きて行きたいと思ったそうよ。
鈴原はヨーロッパに行くことを諦めない。私には分かる、だとしたら別れるしかない。
鈴原、香奈恵が大学を辞めて農業の道に進む、と言った時に、香奈恵を愛しているという気持ちを伝えて欲しいの。たった一言、言えばいいだけ。愛してるじゃないわよ。これだけは教えない。香奈恵が可哀想だから。考えるのよ。真剣に。」

茉莉子さんは珈琲をもう一杯頼んでくれた。

「鈴原は私の元カレ、でも私の後輩、鈴原も来年、後輩が出来れば分かると思うけど、馬鹿な後輩ほどかわいいのよ。香奈恵もよ。鈴原、大きな愛って学んで、大学4年間で、いいわね。
私は大学を卒業したらアメリカに行く。私の彼は、
海外営業の仕事をしていて、来年早々にアメリカに赴任することになったの。5年間も行くことになったの。彼は今28歳、帰って来たら33歳、彼は上司に身を固めてから行ったらどうだ、と言われたこともあって、アメリカに一緒に行って欲しいと言われたの。私は卒業を待って、アメリカに行く準備をして、5月の初めに行く。
最初にこの街に詳しいと言ったでしょ。実は彼が住んでいる会社の寮がこの街にあるの。
鈴原、私の彼に会ってみない? 彼には、サークルの1年生の男の子がヨーロッパに行く仕事に就きたいと頑張っているからアドバイスしてあげて欲しいと頼んだの。そうしたら、いつでも連れて来い、と言ってくれた。鈴原、どうする?これから私と一緒に彼のところに行く?」
「茉莉子さん、お願いします。茉莉子さんの彼に会わせてください。」

茉莉子さんは、お姉さんの様な微笑みを浮かべた。


つづく







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