儚い香り
初恋の人に振られた傷を
引きずっていた頃。
当時短大に通っていた私は地下鉄に繋がる
アーケード街のアパレルショップで
バイトをしていた。
雨あがりの昼下がり。
店長におつかいを頼まれ店を出た瞬間、
金縛りにあったように身体が硬直した。
初恋の人に似た横顔。
バニラのようなタバコの甘い香り。
あっ彼…。
慌てて店に引っ返し、
「すみません、急に用事ができたので!」
その人を見失しないたくない一心で
後を追いかけた。
店長はポカンとした表情だったが
もう、どうでも良かった。
その人は同じ歳くらいの男性と歩いていた。
地下鉄の改札に向かっている。
電車に乗るようすで、私も慌てて切符を買った。
同じ車両に乗り、その人を見た。
やはり初恋の人ではなかった。
そうよね…。
だけど、目を細めて笑うところ。
しなやかな指で髪を触る仕草がよく似ていた。
その人は2つ目の駅で降り、改札口を出ていく。
これ以上ついて行ったら私は私を止められなくなる。
遠のいて行く後姿を見て、涙が止まらなかった。
しばらくして、
優しい年上の彼氏ができた。
初恋の人とは真逆のタイプで、
いつも洗いたてのシャツの匂いがした。
お日様のような温かい人で、彼と結婚するだろうと思っていたが予感は外れた。
初恋の人のことも、
付き合っていた彼氏のことも
すっかり忘れてしまっていたある日。
行きつけのスーパーで
今まで嗅いだことのない香りに遭遇した。
何?どこ?誰?
香りに導かれように店内を歩いていくと、
急に匂いが強くなった。
ムスクや樹脂の乳香を混ぜたような
エキゾチックな匂い。
そこには浅黒い肌の外国人男性がいた。
その匂いを嗅ぎたくて
気づかれないようあとを追った。
例えるならば、自分には縁のない官能的な香り。
ずっとこのままこの匂いに浸っていたい。
スーパーの片隅で瞼を閉じて深呼吸する女は
誰が見ても怪し過ぎる。
ふと我にかえると、外国人男性は既に居なくなっていた。
今となればあきらかにストーカーまがいの行動。
コロナ禍になりマスクをつけるようになってから
は知らない人の後を追ったりしなくなった。
香りは一瞬だけど、
別世界に連れ出してくれる。
そして、一瞬で消えてしまう。
手に入らない
その儚さが私は好きなのかもしれない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?