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漫画『違国日記』感想|その人だけの孤独と、大切な人が抱える孤独への寄り添い方

『違国日記』という漫画が大好きだ。


大好き、というかこの物語に救われている。
というべきか。

わたしは以前、別な記事にも書いた通り
超絶無口な夫と2人暮らしをしている。

夫は大学時代からかれこれ10年以上連れ添っているのだが、コミュニケーションの課題は絶えない。

長年一緒にいても時々、
「どうしてもわかり合えない」
「どうしてもわかってあげられない」

一緒にいるのにどうしようもない孤独に襲われる瞬間がやってくる。

そうした時には、恥ずかしながら
今でも子どものように怒ったり泣いたりしてしまう。

そういう「一緒にいるのにどうしてもわかり合えない孤独」に、そっと寄り添ってくれるお守りのような漫画が『違国日記』なのである。

あの日 あのひとは
群をはぐれた狼のような目で
わたしの天涯孤独の運命を退けた

『違国日記』1巻

あらすじは、ある日両親を同時に交通事故で亡くした高校1年性の朝(主人公)が、親戚にたらい回しにされそうな中、叔母で小説家である槙生(まきお)に引き取られ共に暮らすようになる。
というストーリー。ガッキーで映画化したので、映画を知ってる人もいるかも。

登場人物も個性があって面白い。
しかし、みんな共通しているのが「自分だけの孤独」を抱えているという点。

主人公の朝は、両親が同時に交通事故で亡くなり自分のアイデンティティが揺らぐ、加えて、死んだ両親がほんとうに自分を愛してくれていたのか?という孤独。

叔母で小説家の槇生は、普通の人が当たり前にできること(掃除、電話、コミュニケーションなど)が上手くできない、加えて、深い人間関係を作ることが怖い、という孤独。

朝の親友のえみりは、同性を好きだということを親友や家族に言えない、という孤独。

槇生の元恋人の笠町は、仕事でもプライベートでも完璧を求めすぎてしまい自分も他人も追い詰めてしまう、そして、槇生の孤独を理解してあげられない、という孤独。

など、人それぞれにいろんな種類のその人だけの「孤独」がある。
それと同時に、他人には決して理解してもらえない孤独を抱えながら、それでも他者と寄り添いながら生きることの苦しさを、尊さを、そして希望を見せてくれる作品である。

わたしが『違国日記』の素晴らしいと思うところは、「わかり合えない他者とどう寄り添って歩んでいくか?」というところにヒントをくれていることだ。

他者が抱く孤独への寄り添い方として印象的なのが、まだ自分の感情・自分の孤独をうまく言語化できない朝に対して、小説家である槇生が「言葉」を教えていくシーン。
「その感情は、空虚、というんだよ」みたいな感じで、度々描かれる。
そんな槇生との生活を通じて、朝は自分の感情や孤独を表わす言葉をいつの間にか学んでいく。
そして、人に寄り添う術を身につけた彼女自身が、孤独を抱える同級生に対して、彼女なりの寄り添いをしていく、といったシーンが描かれている。

他者の孤独への寄り添いとその連鎖が、朝の高校3年間を通じて季節のうつろいと共に描かれていくのだ。

うむ。
ほんとうに、すごい作品。
ありがとう、ヤマシタトモコ先生。

他者と分かり合えないなくて辛いなぁって思ったら、薬みたいな感じで読んでいる。


そんな作品。



良かったらぜひ一度お試しあれ。
全11巻で既に完結しています。

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