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カリフォルニアで、Uberドライバーと

 2019年5月、ふと思い立って友人とカリフォルニアを旅行してみた。その場所を選択した経緯は思い出せない位で、とにかくどこか遠くへ行ってみたくて、行き先は別にどこでも良かった。

 車社会のカリフォルニアで、移動は全てUberを利用した。時々怖い事件もあるようだが、配車から決済までの全てをスマホで済ませられ、会話を一切しなくても目的地まで送り届けてくれる利便性は魅力的だった。

 とは言え、少し喋れる程度の英語力を鍛えたい意欲と、せっかくだからローカルとコミュニケーションを取りたい想いとから、私はUberドライバーには積極的に話し掛けた。

 あえて表現するならば、白人、黒人、アジア人と、様々なルーツの人たちの車に乗せてもらった。パッと見ではどこのルーツか分からないようなミックスの人もいた。日本の感覚だと、この人たちにいちいち「どこから来たの」「ナニジンなの」と聞いてしまいそうなものだが、彼らは人種に関係なく「アメリカ人」なのだ。そしてどの「アメリカ人」も、文脈を無視して私たちに「どこから来たの」「ナニジンなの」と聞くことはなかった。それが、多人種国家アメリカなのだと知った。

 ドライバーたちは皆一様に気さくで、私の拙い言葉にも「十分よく話せているよ」「上手に話せなくてもコミュニケーションが取れればいいのさ」と前向きな評価をくれた。確かに話し相手をしてくれたドライバー達の英語もそれぞれで、話し方の癖のような訛りのようなものを感じた。完璧を求められないのはとても心地が良く、私は調子に乗って話し続けた。

 最終日、ゲストハウスのサマンサと一頻り別れを惜しんだ後、空港へ向かうためにUberを手配した。私たちを空港まで送ってくれた彼とのやり取りは今もよく覚えていて、この時ほど、もっと英語が使いこなせたら良かったのにと思ったことはない。

「Hi」
 外から軽く挨拶をすると、ドライバーの彼は私たちのスーツケースに気付いて車から降りてきた。トランクにスーツケースを放り込む彼は色白で黒髪の小柄な男性で、30代前半くらいに見えた。どこかフレディマーキュリーを彷彿とさせる雰囲気があった。
 友人と車に乗り込んでいざ何と話し掛けようか機を狙っていると、思いがけず彼の方から話し掛けられた。
「ねえ、悪いんだけど少しだけ電話していいかな。ちょっとだけ。大事な用があるんだ」
 スマートフォンを手に持った彼は早口で捲し立てるように懇願してきて、一刻を争うような深刻さが滲み出ていた。果たして、通話しながらの運転が合衆国の法律上許可されているのかは知る由もなかったが、私たちは「どうぞ」と答えるしかなかった。彼はスマートフォンをスタンドにセットして通話を開始し、空港までの道のりを走り始めた。

 人の電話を盗み聞く趣味はないが、電話越しの相手とスピーカーで会話しているのだから全て丸聞こえだ。なるべく聞かないようにしても、要所要所で知っている単語が聞き取れてしまう。

 電話口の相手は女性で、どうやら彼の姉か妹のようだった。「化学療法はもう始まったのか」「父さんは何て言ってるんだ、医者からは何て説明があったんだ」「効果がないなんて嘘だろ」「母さんは死ぬのか」電話の向こうの女性の言葉は、音が割れていたことともあって私にはほとんど聞き取れなかったが、彼が言っていたのは大体そんなようなことだった。
 「分からないけどとにかくやるしかない、また連絡する」通話が終わると、彼は何事もなかったかのように安全運転を続けた。
 そんな大切な時に働いている彼の気持ちを想像したら、居ても立っても居られずつい聞いてしまった。
「……Ah, Are you okay?(大丈夫?)」
 彼は真っ直ぐ前を見たまま、片手で頭を抱える仕草をして「ごめん大丈夫だよ、ありがとう」と答え、彼の母に癌が見つかり、丁度今から病院で化学療法を始めるところだということを語った。ぶっきらぼうで、時々投げやりになる彼の話し方が、彼の心がとても辛い状況であることを表していた。

 少しでも慰めになればと私が発する言葉は火に油を注ぐようなもので、「あんたに俺の気持ちは分からない」と突っぱねられた。何度も「俺はどうしたらいいんだ」と、独り言ともつかない言葉を宙に放たれ、私がもっと言葉を知っていたら良かったのにと思った反面、いやこんな時に日本語でだって何て言ったら良いのか分からないと落胆した。

 でも、母を亡くす気持ちは分かる。長いこと辛い闘病生活を送って、最期は何もできずにただその時が来るのを待つことしかできなかった母が私には居る。私はそれを、私なりに傍で見守ってきた。

「実は私の母は、癌で死んだの」
 少しの沈黙の後、ポツリと私がそう言うと、彼はハッとして態度を改めた。
「マジか、ごめん!そうとは知らなくて……ひどいことを言ってしまった。本当にごめん。悪かったよ」
 それから彼は急に穏やかな口調になり、自分と私のことを慰めた。今一番辛いのは自分自身のはずなのに、わざわざ私と私の母の人生まで労ってくれた彼は、とても優しい人だった。

 彼は「Sometimes, Life is very hard.(人生って時々、とても辛いよ)」と繰り返した。そして、「とても辛いけど、前を向いてやっていくしかないんだよな。そうすればきっと、光が見えて来るんだ」と、自分に言い聞かせるように呟いていた。私はそれ以上言葉を探すのは辞めて、彼の言葉にただ相槌を打った。

 この時、彼の車の中で、私は自分がアメリカにいることだとか、初対面の外国人と話していることだとか、英語が通用しなくて苦戦していることだとか、そんなことは全て忘れてしまっていた。そこには温かくて丸い空気が穏やかに流れていて、言葉なんかなくとも通じ合えるという事実がじんわりと私の胸の奥を潤していた。

 空港に到着すると、彼は手際よく私たちのスーツケースをトランクから出し「これから病院に向かうよ」と複雑な表情を浮かべた。「ありがとう、気を付けて」と言い合って、あっさりとお互いの人生に戻った。

 たまたま道が重なって出逢った、遠い異国の友人。彼の心が穏やかであるように、今も祈っている。

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